音楽は言葉 詩人の恋

 普段は関心のないニコニコ動画だけれど、たまには見てみるものだと思いました。
 それは「詩人の恋」 なんとシェーファーとグリモー共演の音源。ある人がラジオで録音されたものを投稿されたようで、2009年8月ザルツブルク・モーツァルテウムでのライブと記されていた。つまり動画ではない
 仮に自分が公演日にザルツにいたとしたら、同時刻に祝祭劇場でウィーンPやベルリンP或いは刺激的なオペラであったとしても絶対にモーツァルテウムを優先させるように思う。ほぼ不可能でしょうが仮に日本公演が実現したとしたら隣人の冠婚葬祭を放棄してでも時間を捻出するであろう。S席37,800円でも構わない。
 しかし個人主義まっしぐらにしか感じられない女性演奏家二人が一緒に舞台に出ていた過去があったなんて、報告の義務もないが僕には知らされていなかった。
 ニコニコ動画はヤフーにシェアできない仕組み、じゃあFBかなとか暫し考えたけれど、こんなもんシェアしたところで喜びをわかちあえる人材なんか日本中探しても数人しかいないだろうし、いつ削除されてもおかしくないだろうから・・これってダウンロードの方法もあるのかな?・・とにかく録○しよう。それで自室からレ○ーダーを持ってきて、半アナログ的行動を苦にも思わず、どうにかこうにかC○Rに収めた。
 聴く前に紅茶を用意した。というのも先日お仕事でお会いしたお客様が高級茶葉をプレゼントしてくださり、珈琲は慣れているけれど、どのようにしたら美味しく飲めるのか何時間も考えていたタイミングでもあったのです。
 不慣れないれ方だったかもしれないけれど、美味しい!
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 そして「詩人の恋」を再生してみた。微かに奇怪なデジタルノイズがウニウニ音をたてたが、音楽が始まれば雑音は気にならなくなるはいつものこと。
 完全に歌手主導のシューマンで伴奏者の存在を忘れてしまう仕上がりは好ましい。このときの演奏に本人が納得しているのか分からないけれどグリモーは器用な人だと思った。
 そういえば先日テレビ放送していたコントラルトのシュトゥツマンのDichterliebeで伴奏していた人は酷かった。
 あれではまるで学校の先生が自分のペースで淡々とピアノを弾き、その状況に歌手が合わせて歌っている。
 どこのシーンだったか忘れたけれど続けて歌いたいだろうに伴奏者は相方の心の高ぶりを感じていないのか専ら自分のペースでゆっくり楽譜の頁を捲る。シュトゥツマンが気の毒でならなかったし、聴き手だって同じようなもの。本番でリハーサルを再現するってどういうつもり?
 
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 話がそれましたがシェーファーの「詩人の恋」
 いきなりズッコケそうになったのは、楽譜だと一番下頭しかda istしか写っていないけれど…Da ist in meinem herzen die liebe aufgegangen (その瞬間私の心の中に、愛を感じた)と続くのに…Da hab, ich ihr gestanden とシェーファーは二番の歌詞を歌い始めてしまった。こういう間違えは他の歌手でもよくある出来事だけれど、出だし数秒後でのハプニングだから劇場で聴いているわけでもないのにドキドキしてしまった。ちなみにgestandenの後にはdie liebe aufgegangenと歌い、二番ではMein Sehnen und Verlangenと楽譜に忠実に憧れと希望を見出した。
 最近シェーファーはけっこう間違える(笑)でも破綻が生じなければ良いわけで、たいした問題ではない。
 以前カレーラスがトスティ「最後の歌」でローザとメンタ、つまり薔薇とミントを間違えたというか、滅茶苦茶な状況に陥って聴き手として頭の中がグラングランした記憶があるけれど、さすが百戦錬磨なのは劇場の日本人大半がイタリア語歌詞なんか気にしていない状況をいいことに、一列目に座っている女性の目を見ながら大きくブレスしてファルセットみたいな甘い声で「ローザ・・」 
 馬鹿らしいこと書いていたら胃が痛くなってきた。
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 参考までに歌詞を貼り付けました。美しい文章です。
 
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 今思い返すとシェーファーは2009年ころから声に陰りが感じられるようになってきた。
 このDichterliebeの頃だと思うけれど、若い時みたいに大きな声が出なくなったり呼吸が続かなくなっても年齢やコンディションに合わせた武器を模索できるのだなと考えた。
 DVDで販売されている同曲では色々な見方聴き方ができて面白いけれど、2009年ほどの潤いはない。例えば↑の箇所は、7曲目Ich grolle nicht(私は怨みはしない)の一部で、Ich sah dich ja im Traume.・・(私は夢であなたを)そのときのシェーファー表現力はたまりません。伝達が難しいのですが「優しさの本性」とでも書いておきます。
 一般的に「詩人の恋」といえば男声が望ましいとのお考えが大半。概ね僕も同じような気がしますが(歌う人と自分のコンディションにもよるけれど)上記の部分に関しては女性として、しかも母国語で歌えることに嫉妬を覚えずにはいられない。
 その後の歌詞はハイネの世界そのもので「あなたの闇を見た。心を蝕む蛇を見た。私の恋人の惨めな姿」・・それでもでも「Ich grolle nicht」と帰結する。最後の音シェーファーには低い。他の曲でも声に出せない厳しい音符だって存在する。そこは抑揚のない透き通った声、子音の美しさでカバー。歌というより朗読。
 
 
 
 
 ※書き出すと全曲になりそうなので、ここで止めます。
 伴奏はエリーヌ・グリモー、素晴らしい仕事。
 結論「音楽は言葉である。」
 
 
 
 
 追伸 書庫について
 「ワグナー」と「音楽の話」を他の書庫に割り振り削除、新たに「リート」をプラスしました。
 記事とコメントの消去はしていません。