CDを買った。

 仕事帰りに立ち寄ったタ○ー藤沢店でCDを買いました。
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1. ショスタコーヴィチ:ヴァイオリン協奏曲第1番イ短調 Op.99
2. ショスタコーヴィチ:『7つの人形の踊り』から「抒情的なワルツ」(編:タマーシュ・バティアシヴィリ
3. カンチェリ:ヴァイオリン、弦楽合奏とテープのための『V&V』
4. ペルト:鏡の中の鏡
5. ラフマニノフ:ヴォカリーズ

 リサ・バティアシヴィリ(ヴァイオリン)
 エレーヌ・グリモー(ピアノ:4,5)
 バイエルン放送交響楽団(1-3)
 エサ=ペッカ・サロネン(指揮:1-3
 
 以前から聴いてみたかったCDだったけれど、今の時代お金をかけないで粗方ネットで手に入るし、特に最近は店舗に出向いて購入する意欲なんてなくなっていた。しかもタ○ー藤沢店というのはクラシック音楽売れ残りの更に残りカスみたいな棚しかない。でも今回は驚くほど安価+割引だったので、案外穴場なのかなと思ってしまった。
 飛躍しますが、写真は雪翌日の自宅前。
 僕は気がつかないでいたけれど友達に「かわいい足跡がある」と指摘され、なんだろうと約2ヶ月間考えていたのは、普通なら猫でしょうが冷たい雪の上を歩くイメージがなかったから。
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 バティアシヴィリのCDが入った鞄を持ちながら歩いていたら、遂に足跡の主らしき生物を目撃した。間違いかもしれないけれど、あれは太ったアライグマ(或いは超デブのタヌキ)だった。
 
                        (環境省のHPより・・・こんな感じ。)
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 アライグマは特定外来生物で厄介もの扱い、天井裏や軒下に生息し大きな被害を齎すこともあるそうです。
 外来種といえば、毎日のように見かけるタイワンリスの正式名は、もう笑うしかないが「カルロスキウルス・エリュトラエウス(カルロスキウルス・エリュトラエウス・タイワネンシス」とのこと。
 
(保護されたタヌキ。市役所のHPより。)
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 近所のオバちゃんが「夜になるとタヌキが出るのよ!」と言っていたけれど、僕には全然違いがわかんない。ただ写真だと、なんとなくアライグマは図々しくタヌキは気の毒に感じられくるから不思議。しかし、あちらだって必死に生きているのだから文句も言えないような気もする。元々はタヌキの故郷だったとしたら山を削り家を建てた人間の責任は大きいと思う。北アメリカ産のアライグマはどうやって来たのだろう。
                          
                           ( アライグマの分布図) 
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 しかし調べてみて吃驚したのは、こんなに出没しているの!鎌倉市どころではなく三浦半島全部が真赤。
 
 
 
 ところで数ヶ月前に住居二階空き部屋にご家族が引っ越してきて、ご主人が「子供が小さいのでご迷惑おかけするかもしれません。」とご挨拶にきて、「こちらだって猫がいるからお互い様です。」と笑顔のやり取りをした。それでお子さんが走ったりする音が微かに聞こえてくるたびに温かい家庭を想像していた。ただ不思議だったのは奥様に会釈をしたら無視されたことがあって、ほんの少し変だなと思った。その感覚は僕が嫌われているとかではなく、社会そのものを受け入れることのできない苦しみと悲しみとでも表現したらいいかもしれない。子供はまだ2歳くらい?そういえば雨なのに乳母車が外に出されたままだったり、引っ越しで出たゴミなのか(箪笥とか)3ヶ月位駐車場に放置してあったり、買物に行く姿すら見かけない。
 ある時、天井からもの凄く大きな音がした。形容が難しいのですが冷蔵庫を倒したようなそれだから、さすがに気になったけれど文句を言って険悪になるのも嫌だったから黙っていた。その大きな音は日を追うごとに増加した。
 ところが、先月末その音がパタリと止んだ。春休みで旅行にでも出かけているのかと思ったが、既に四月も半ばだから知らない間に引っ越したらしい。
 
 
 
 つまり完全一戸建てに逆戻りしたのだから、爆音がなんの買ってきたCDを聴いた。
 ドイツ・グラモフォンサロネンやグリモーがらみのCDはシューマンにしても「クレド」もそう、曲のセレクトがとても面白い。
 Vn協奏曲1番、バティアシヴィリ編曲、カンチェリ、ペルト、ラフマニノフの展開は飛躍ではない。
 「学び、能力を開花させ遥か彼方の夢に向けて旅立つ」・・言葉ではなんでも書けるけれど、最初からそんなものは関係ないような気がするのは、誰だって逃れることのできない境遇がある訳で、ここでは寧ろ境涯という語が近いかもしれない。ただ切磋琢磨し形成される上位を拠所として世の摂理を信じる分野を境涯と呼ぶならば意味合いが異なる。民族間の争い。私利私欲。政治的理由。誰もが愚かにも大義名分を求めてやまない。馬鹿らしい。
 響きは根源的な血の問題に導かれる。恐らく誕生以前から、また他界したとしても影のように追いかけてくる。
 それは自分自身であり、悲しみを抱えたまま旅立つ孤独を知った人々の心の叫びでもある。
 いったい誰の企画なのだろう。とにかくバティアシヴィリサロネン、グリモー、個々のアプローチは異なれど作曲家の苦悩と和解したと聴こえてくる。
 幾つかの感想やら口コミを読んでみたけれど、技巧に終始し酷い場合は他者の演奏と比較するばかりで、どうにもこうにもすわりが悪い。グリモーの伴奏をサロネンを批判している記事もあった。そういう考えもいいけれど、少なからず二人は社会と戦っているわけで、歴史を学び目線を変えてみることで、気づきがあるように思われてならない。
 
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 ジャケットの写真が素晴らしい。
 雑草だらけの線路は国境を越えて何処までも続く。過去を振り返らずに進むしか道はない。
 ラフマニノフは心を打つ。若くして出会ってしまった命の余韻は祈りとして昇華する。
 
 CDタイトルの「Echoes of time」は「こだま」でしょうが、単なる反響ではなく、ギリシア神話でのエコー「恋焦がれし者は死し、言葉だけが残った。」を思い出した。