ルネ・コロ「冬の旅」紀尾井ホール

 生きていると様々な出来事に遭遇するもので、当たり前だけれど良いことばかりではない。愚痴っても仕方がないが、特に今年に入ってから歯車が狂い始めたように思えてならない。そろそろ軌道修正が必要と理解しつつ行動が伴わないのはどうしたものか、若くして他界した父親と重ね合わせるなら人生時計は既に夕映え或いは冬なのかもしれない。
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 生きているからバスを待つ。生きているからお日様が眩しい。生きているから汗をかく。
 何かの本に書いてあったのか誰かが言ったのか曖昧ですが、死ぬ直前に人は何を思うか?「こんなはずじゃなかった。」が多いらしく、素直にそれを信じてしまった自分が愚かなのは、冷静に考えれば死にゆく人々にリサーチできるはずはなく、思わず「お前死んだことあるのか?」とツッコミをいれたくなる。こういう話は胡散臭い。
 僕は感じる心と喜びを分かち合える友情を大切にしたい。
 
  出発してから約1時間半後、並木道をandantinoしながら「J大学は会社のような建物だな。でもあの子可愛いな。」とか「集団的自衛権行使は選挙で決めろ。このまま議事堂に行こうか。」とか考えていた。
 一年の半分が過ぎた。
 
  7/1(火)19時開演 紀尾井ホール ルネ・コロ テノール・リサイタル第1夜 シューベルト「冬の旅」 Pf伴奏 ミヒャエル・ベルダー 
 演奏は第1部 Erste Abteilung~20分の休憩時間~第2部 Zweite Abteilungという形。歌手自身の判断なのでしょう。
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  今年喜寿のコロが来日する事実に当惑しながら、たぶん20年位昔あそこのホテルのラウンジで「人生の最後は冬の旅。」発言を昨日のことのように思い出した。一番心配していたのは今は昔。つまり「歌えるのかな?」
 ポスター横に朝日新聞の切り抜き。日本は最後かもしれないけれど、まだ歌うようなことが記されていて「さよなら世界ツアー」と大いなる矛盾・・「ということは、歌えるのだろうな。」
 イープラスで購入した席が気にいらず差額の2000円プラスで事務局に交渉。前から6列目のど真中に変更していただいた。Danke schÖn.
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  ロビーで懐かしい人と再会した。その昔ミュンヘンで同じ宿だったUさん。人生の大先輩。品のある笑顔の素敵な女性。「歌えるのかしらね。でも来ちゃった。このホールはバルコンが好きなの。」お元気そうで嬉しかった。
 その後オペキチの友人Sさんに遭遇。約束の非正規盤を渡す。「では、今宵コロということで。」
 席についたら、今度は左前列から「あ!もしかして堀内さん?」・・Uさん以上に久しぶりかもしれない、でも変らないRさんの姿。なんだか一気に時間が収縮した奇妙な感覚に襲われクラッとした。冗談言いながら笑顔で挨拶するも、実は彼女には色々大変なことがあったと知っていたから、幾つかの思いが交錯してウルッとしてしまった。終演後話ながら僕たちの出会いは1987年の秋だったと思い出したが、コロが初来日したベルリン・ドイツ・オペラのリングサイクルのチケット売場の前と後。あの時はジークフリートか黄昏か、どうにかこうにか上野文化一階の通路に補助椅子をNBSさんが用意してくれて隣で鑑賞した。前列にイエルザレムとトムリンソンが座っていた。
 
 
 コロさん登場はtempo giusto.
 普段からFBで写真を見ていたからかもしれないけれど、あまり高齢には感じられなかった。そして紀尾井に集った人々それぞれの思いを胸に2014年7月のDie Winterreise / Franz Schubertが静かに流れる小川のように始まった。
 もしかしたら他者がくだらないこと書く可能性があるだろうけれど、当ブログでの真実は僕、特に悪意ある評論家は馬鹿だから信じてはいけないと先に表明させていただきます。
 実は驚いたことが2つあって、まずは不安に思っていた声なのだけれど「デカイ!」そして「響く!」
 かつて王子ホール飽和状態を経験していたから、そこそこ大きな声を聴けると想像してはいたけれど、もしかしたら年齢云々を差し引いてもコロには紀尾井じゃ小さいのかもしれない。時折高音が喉の奥に引っ掛かる瞬間がやってくるけれど「大丈夫です。」かつて皆があなたから勇気を貰い救われたのです。それに会場にベックメッサーはいない。誰もがマイスターを尊敬している。
 なによりも言葉が明瞭。それゆえ自然とミューラーに導かれ、ふと「ああ二度とこのような時間は来ないのだから、思い切りシューベルトを吸い込まなければ」と己を問いただすは、寸歩不離とでも例えたらいいか「Winterreise」 の奇跡的な芸術家の出会い。コロは歌うように語り、或いは語るように歌う。情感を巧みに吟じ分ける子音の美しさに魅了された。
 もう1つの驚きはテンポ。以前発売されたCDでは考えられないスピードに当惑したけれど(お開き後に携帯の電源いれたら21時近かった)下手したら3倍くらい遅かったかもしれない。好ましいこと。
 個人的な思いだけれど、Winterreiseを聴くたびにErstarrung→Der Lindenbaumへの飛躍は恐ろしいほど美しく感動的。言い換えれば、そのまんま策略に嵌っているだけなのかもしれないけれど
 ≪Am Brunnen vor dem Tore,Da steht ein Lindenbaum≫で涙目になってしまった。
 このまま書き続けると、どえらい長文になりそうなので以下簡略化します。
 休憩後の二部の方が調子が良かったと思う。発声が安定してきたのです。
 ただ、郵便馬車でのMein Herz!の音が取り難そうだったから、神経質な僕は余計なことを考えてしまう。
 明後日「詩人の恋」でのUnd sah die Schlang’, die dir am Herzen frißt,つまり≪Herzen≫A”の音に対して一抹の不安を抱かずにはいられない。無理はしないでほしい。でも窮地が訪れても強靭な肉体が音楽を支えてしまうのだから・・無駄なことは考えても仕方がない。
 ふと、トリスタンの第3幕で「大きな山が4つあって、先々の峰を意識しながら都度乗り越えるのです。」と歌手の言葉を聞いたと思い出した。そのアプローチはワーグナーに限ったものではなく、リートでも似たような感覚なのかもしれない。もちろん同じような歌唱という訳にはいかないし、詩人の姿そのものだけれど、かつて経験した楽劇での何人もの英雄の姿を懐かしく思い出した。つまり音楽を探求する志と信じ続けた表現にブレはなかった。
 Die Winterreise 孤独な詩人の眼差しは内なる世界に向けられる。それは疎外、拒絶、訣別、最後にはこの世界からの離脱を意味すると一般論として語られ、事実同じようなことを感じていた。ところがコロの歌で通して聴くと、慈愛に満ちた温もりがあるように思えてならない。どうしてそのように聴こえるのか、僕にはまだわからない。
 ただ不安の概念は無用。辻音楽師と共に歩み出せばいい。それだけは分かる。
 この先は哲学の領域と思う。
 
  O wie schön ist deine Welt,
 Vater, wenn sie golden Strahlet!
 dein Glanz herniederfällt,
 und dem Staub mit Schimmer malet,
 wenn das Rot, das in der Wolke blinkt,
 in mein stilles Fenster sinkt!

 Könnt ich klagen, könnt ich zagen?
 irre sein an dir und mir?
 Nein, ich will im Busen tragen
 deinen Himmel schon allhier.
 Und dies Herz, eh es zusammembricht,
 trinkt noch Glut und schlürft noch Licht.
 
 
 
 アンコールは無いと思っていたが、一曲上記の歌詞。翻訳したくないというか、もうありえない。
 演奏会終了後、Uさんは姿を消していた。あの人らしいなと思った。喜びを分かちあう女性は干渉しない潔さを持っている。
 Sさんは「う~ん。今日は調子が良い方だったのだと思うよ。」感じる心は人様々だな。
 Rさんは嬉しそうな表情だけれど「皆元気かな?」と遠くを見た。「そうだね。懐かしいね。」
 お宝が増えた。
 わざわざレコード持参は誰もいなかったみたいで、それなりの衝撃を周囲に与えたのか、知らないご婦人から「それ凄いじゃない、どこで手にいれたの?インターネット?」って、「えーとお店です。御茶ノ水ディスクユニオンです。」(そう簡単には見つかるまい。)
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 たまたま専属通訳がMさんだった。
 「あら、お久しぶり!」→「こんばんは。いつもありがとうございます。」
 ものはついでとばかりI・Fさんのことを聞いてもらったら、マイスタージンガーは「ヤー・・」とウンザリした表情。
 「やっぱりそういうこと?」とコロの目を見たら、可笑しな表情でアイコンタクトを送ってきた。
 FBってなんだろう?友達の友達に合衆国大統領とジョージ・クルーニーが出現した6月。読まれて結構、FBにシェアします。
 「信じることができるか、信じることができないか、ただその問いを発したとき信仰は存在しない。それがローエングリン。」お茶したときのコロの言葉を思い出した。
 
 鎌倉駅に着いてから、直ぐに帰りたくなくて、誰もいない小町通りをLindenbaumを歌いながら独りぶらぶら歩いた。生きていると思えた。
 僕も仲間もKolloも、なにも変わっていなかった。
 ただ時間が流れただけ。    
 
 
 
 
 
 


 
 
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