本を拾った。

 音楽から受ける影響は大きく、先日の演奏会以降なにも聴けない状態が続いている。
 CDやオーディオ等はお宝以外は全て手放しても生活上問題がないと思う。
 0円と言う訳にはいかないけれど、買いたい人がいるのなら相談に応じます。
 特にローサーのスピーカー(古のエンクロージャーで角フレーム。エッジの修正は必要。)など、それなりの価格だと思いますが、半額以下でも構わないと考えている。
              
 
 手放すと言えば、雨の中近所を歩いていたら、ゴミ捨て場に大量の本が捨てられていた。
 気になり調べてみたら「室生犀星全集」と「世界文学全集」だったので、そのまま持ち帰ってきました。正確には傘を差さずに3往復で、途中で紐が解けてバラバラ落としてしまったり難儀だった。
 「世界文学」の方は中央公論の、本としては価値のあるものではないし半分位は読んだことのある作品だけれど、名前も知らない作家もいたりする。とにかく雨ざらしだったもんだから、タオルで丁寧に本を拭きながら、傷んだハードカバーや帯を躊躇せずにゴミ箱に放り投げた。
 前々から「本には命がある」と考えていて、ブッ○オフあたりの場合は無呼吸の集合体のような気がしてしまうけれど、今回のそれは仮死状態のイメージ。つまり読んだ形跡がないので、読むことで蘇生させることができるように感じられた。
 室生犀星は酷いコンディションだったのですが、昭和41年新潮社から出版された全集初版。これはさすがにカバーは捨てられない。何冊かは破れかかっているけれど、スティック糊を買ってきて補正する予定。
 そんなこんなで翌日は虫干し作業「太陽よ、真面目にやれ!」
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 Rシュトラウス「zueignung」を口ずさみながら、本たちよ「感謝を受けよ!」
 本職の傍ら密かに古本屋になろうかなとか、どうでもいいことを考えながら、どうして捨てたのかな?
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 夕方、本を束ねながら感じたのは、梅雨空の粗大ゴミは屍の塊だったけれど、誰にも読まれないまま年を重ねた一枚一枚が陽射しを吸収して、学校の埃に近いそこはかとなく懐かしい匂いに変化してきた。
 話は変わるが、月曜日に知人とボンディに出没。「海老カレーください。」
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 食後、古書店横を通過すればウインドウの寺山修二「地獄編」75600円って、誰が買うのだろう?
 そして「神田伯剌西爾」で仏蘭西ブレンドを注文。ついでにマンデリン豆を200g購入。
 その流れで取引先ホテルに手土産無しで立ち寄る。ジーンズの私服で髪の毛もボサボサだから失礼かな?と思いつつ事務所に顔出したら、いつもの笑顔でスタッフが迎えてくれた。
 「どこ行かれていたのですか?」→「ボンディで海老カレー食べてきました。」→「いいな~・・アイス珈琲飲みますか?」・・ありがとうございます。ご馳走様でした。
 帰り際、ベルボーイさんに「あはは、誰かと思った。」
 やっぱり鳩サブレーくらい持参すればよかったかな。
 
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 マゼールが亡くなった。
 ショックだった。(この写真は版権切れているでしょう。)
 あとから気がついたのはクライバーと同じ命日とのこと。
 頭脳明晰な音楽家は時間を使い果たした。
 合掌。