壊れかけた人生
昨日都内に用事があり、帰宅時にわりと身体の調子が良かったので新宿駅で降りてみた。
とはいっても行く場所なんて山本珈琲店とディスクユニオン程度しかないのですが、とりあえず歩みを進めることの素晴らしさ。たぶんここは12月に仲間と中村屋でカリーを食して以来だと思いだし、歌舞伎町のおねえちゃんのいる店に行くだけの精神力体力財力なんぞ過去の出来事、ただ行き交う人々を掻い潜る知力は温存できていたから、街の喧騒の中でも微かに生きる資格が与えられているように感じられた。
いま「時代はルネサンスである」なんて誰も思っていないでしょうが、小生は暫くそっちにトライしようと思っている。
つい先日のこと、友人とのメールのやり取りで、例えば「誰が振ろうが運命は聴かない」的なことが話題にのぼったのです。僕もここ数年似たようなことを考えていて、限られた時間のなかで何をするかはかなり重要で、フルトヴェングラーのレコードを擦り切れるまで聴き続けるような時代ではないでしょうし、ウィーンPのS席を購入しつづけ変な演奏であってもブラヴォー!と悲しき自己主張が音楽でもない。もうそういうの飽きた。
だいたいレコードが擦り切れた状態を見たことがない。ブラヴォーオヤジは都心からJRで800円以上の交通費を掛けてラッシュアワーの中嫌々ながら通勤。35年のローンを払い続け、「我家は一姫二太郎三茄子でーす。」とチェーン店の居酒屋でホッピーを片手にカルフォルニア沖で捕獲されたシシャモに似た魚を食べ会社の悪口を言っているように感じられるから。これは青白く輝く負のオーラである。
では何故ルネサンスなのか?
① これまで興味の対象外だったから知識がない。
② 韻律音律等の仕組みが好きだから。
③ 先日スティングのダウランドを聴いて吃驚したから。
他にも理由はあるけれど、説明するのが億劫だからパス。
それにしても凄いのはオケゲムの帯に書かれたコピーが「空前の完成美!精緻なポリフォニーを絶妙に再現。」と、ダウランドの「ベスト・コンビネーションによるベスト・レパートリー」だから何が言いたいのか理解できない。こういうのは「優しい人柄の美人」が5歳でもあり100歳の可能性をも示唆する。
「冬の旅」のポケットスコア。
電車の中で読み始めたら目が草臥れてしまい睡魔に拍車がかかった。
いま欲しいもの・・・健全な体力・・・そして遠近両用眼鏡
だって鉛筆と比較してこの小ささ。なんか中古のアメリカ製らしいが、めぐりめぐって僕の元にやってきた。
おしまいのほうに英文訳が印刷されていて、我々が「Der Leiermann」として愛着のある作品が「The Organ-man」とは、そうかもしれないけれど何か大切なものが違う。ビリー・ジョエルの「Piano man」を思い出してしまった。
土曜日の夜9時。トニック&ジン。俺の求めているもの、お前にはわかるだろう?たのむよピアノマン。あの旋律だよ。だけど、どうしてこんなところにいるんだい?ラーラ、ラララーラ♪
一晩掛けて抽出した氷出し珈琲はショットグラスにドロドロの苦々。
朝からオケゲル「死者のためのミサ曲」は最高だぜ!
その2時間後フランドル地方に低空飛行する肉体がレンガ作りの教会に体当たりする幻覚に魘された。
詳しい感想はまた別の機会に。