自家焙煎

 今週に入りテレビを見ていない。
 たいした理由があるわけじゃないけれど、視覚と聴覚が同時に入り込み脳に刺激を与える状況が心身に悪影響を齎すように思われ、なんてことない、スイッチを消して窓を開き小鳥の囀りや虫の音だけになると、有害な毒素が体内から抜け出していくように感じられる。
 たまの仕事以外は外にも出ていないけれど郵便局に用事があり、ついでに直ぐ近くのブックオフに行ってみた。ブロ友のneさんがバッハの珍しいCDを同チェーン店でお安く購入されたことを思いだしたからなのですが、安売りと表記された本の中に今東光の単行本が50円とは驚いた。この店の価値観の優劣はこれまで育んできた学習とは無縁なのだから、自分が正しいとは考えないけれど、近い将来このどうすることもできない落差を是正しなければ何らかの形で竹箆返しがあるように思われてならない。
 CDを2枚購入した。バレンボイム指揮ベルリンPのシューベルトの「大ハ長調交響曲」とヘルマン・プライ1961年録音の「冬の旅」で、なんと108円×2=216円。値札が重なっているのは「安くすれば売れる」期待があるのでしょうが、仮に540円→324円→108円だとしても、なにか割り切れない違和感が付き纏う。例えば「限りなく透明に近いブルー」の12刷版とか「ホームレス中学生」なら納得すると思う。消費税は煩悩の数と比例する。
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 それと網のついたザルなのだけれど、こいつは400円だった。市場価値なんぞ知らない。
 ザルなんて数日前の僕には不要だったけれど、一昨日から珈琲を自分で焙煎していて、こういうものが欲しいと思っていた絶妙のタイミングだった。(写真は軽く水洗いした豆を扇風機で乾かしている情景。)たぶん梅干とか干物用の設計だと思われるが、俺は理想的なザルに出会った。
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 ある日のこと行きつけの珈琲屋さんで「ハンドピックがしたい。」と言葉にしたら、なんというのか変人扱い的な上から目線で「焙煎ならまだしもハンドピックがしたいって聞いたことがない!」と一般市民を軽蔑。失礼な豆屋である。
 ただ、ここんところ細かな形状の物質やトリビアリズムに近いであろう数字に対しての強迫観念があって、寿司のシャリやイクラカズノコが異常に気になって仕方がない。
 つまり豆をピックする程度は努力のうちに入らない。ああ、選り分ける喜び。
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 焙煎は台所にあったステンレス構造のフライパンを使用した。全体に温度が均一だから具合が良いみたい。
 手元に時計を置き、右手で鍋を振り続けること20分以上で中深煎りか、でももう少し続けてみればフレンチローストか、程度で撤退。約25分。そのあとは速攻でザルに移し変え扇風機強風で一気に冷却化。30秒以内で温度を下げるように心掛ける。
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 当初、焙煎後数日冷蔵庫で寝かせてから飲む予定でしたが(寝かせることでガスが抜ける。スモーキーさも軽減。香りが咲く。)毎日の変化を楽しむのも悪くはない。
 出来ばえなのですが、想像以上にグレート。
 色に斑のある豆は躊躇なく捨てるべし。写真で幾つかの斑を発見。その後取り除いた。
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 作業を通して一番感じたたのは生産者の気持ちに近づけたこと。
 
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 関係ないが今年のバイロイト音楽祭ラジオ放送を全て聴いてみた。
 特に感動はなかったけれど、ペトレンコの指揮は素晴らしいと思えた。