焙煎その2
今日はこれから某ホテルに出動しなければならないが、大気が秋のそれであることが有難い。
先日オケゲムのレクイエムを聴いた話を書きましたが、なんとなく良さが分かってきたように感じている。
それは言葉と旋律の根源的な関係図とでも表現したらいいのかな。なんでもいいけれど、キリエにはキリエなりの音の連なりが存在していて必ずその形でなければならない。別に決まりごとが全て正しいとは思わないけれど、聴く側の感情なんぞもしかしたらどうでもよくて、歌い手がルールに則した形でハーモニーを獲得することが最も優先され、時に想像を超えた感情の機微、エモーションの共有が訪れる。それを美徳と定義したい。
ニュルンベルクのマイスタージンガーで試験に臨む騎士に対して、パン屋のコートナーがルール説明をするが、いつだって否定的な見解でワルターを応援していたが「ちょっとまて、自分が間違い?」と感じられ一抹の不安が頭を過る。騎士の逸脱した詩の飛躍に歌い間違いが指摘されても仕方がないが、親方ザックスの寛容なこと。最近CDとか聴くとザックスが可哀想で可哀想で。つまり僕はワルター世代を超えてしまったのだろう。超えているとは保守の側に立ち、勿論改革の精神は自由だけれど、エヴァに対して「朝は薔薇色に輝き」を発する資格を失っていることを意味する。喪失したならまだいいが思いがあるのだから、人間は哀しみを抱えながら生きるしか道がない。煙が目に沁みる。ちなみに昨日喫茶店で意識を失った。ツレに起されるまで自分はどこにいたのやら、後から不安が襲ってきた。