ダニエル物語

 午後1時頃、鎌倉駅から源氏山方面を撮影しながら「やっぱりスマホはいいな・・」とか思いつつ、操作の大半を理解できないままでいるもどかしさとメール返信作業だけで20分位掛かってしまう現実にうんざり。しかし今更後戻りできないので、さっさと慣れてしまうしか方法はないみたい。
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 都内某所のディスクユニオンは午後6時頃。
 ついに僕は中世クリスマス典礼劇「ダニエルの書」のCDを入手した。演奏のニューヨーク古楽アンサンブルと指揮者のフレデリック・レンズという人がきちんとした人々なのかスマホの操作並に理解していないが、驚いたことに発売当初は3800円もしたらしく、CD初期の時代にこんなものを誰が購入したのやら、下手したら殆ど聴かれないまま30年近く経過しているような初々しさの残るライオンらしき壁画の装丁(ジャケット)。
 超簡単にあらすじを記すなら
 「バビロニアがイエルサレムをやっつけて戦利品として聖杯を持ち帰り宴会で盛り上がっていたら、あら不思議壁に文字が浮き出てきたじゃない。しかし誰も文字の意味が解らない。王様が「そうじゃ!ダニエルならわかるかも!」それで呼ばれたダニエルは「恐怖の魔王がやってくるんじゃない。あんたらやばいよ。」それで予言が当たってしまうからダニエルは摂政に任命されるけれど、周囲が「お前は独自の神を信仰している危険人物」と告訴。ダニエルはライオンの檻?(巣)に入れられちゃう。そこに天使が現れて「ライオンさんダニエルを食べちゃ駄目よ。」驚いた王様はダニエルを助け「ダニエルの神を信仰するように。」と国民に告げる。あわれ陰謀者はライオンの檻に入れられちゃう。」という1000年位昔の演劇。文字のシーンを表現したレンブラントの絵画が有名。モローも似たような絵を描いていた記憶があるけれど、別のものがテーマかもしれない。
 こういう話を例えば岩波のような権威のある書店は帝大卒の偉い先生に翻訳させたりして、まるで哲学書のような解読不可能な日本語を容認しちゃうから「そういうの駄目」と皆が敬遠してしまう、と思っている。
 <ついでにゲルハーヘルの「水車屋の娘」を買ったのですが、帰宅してから直筆のサインと気がついたのは、あまりに悪戯書きみたいな(~ミミズ~)文字に原因がある。>歌は教科書のそれを聴いているみたい。言葉は美しいけれど、夢が感じられず少々残念。
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 それでダニエルCDなのですが、音楽上の問題は無いのだけれど、遠くのほうから太鼓の響きが聴こえてきて、そいつがだんだん近づいてくる音響上のダサい演出からスタートするもんだから笑ってしまった。
 それでも論理的な発展があるのだろうとは思い、半分我慢しながら最後まで鑑賞。そしたら不思議なもので単調なリズムや旋律が体内に入り込んできてシャワーを浴びていても食事をしていても意識がダニエルモードで「俺も太鼓を叩きたい」奇怪な欲求と共に、シューベルトは論外あのバッハでさえ世俗臭の塊に感じられてくる。
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 時間が前後するがカフェで休憩したのはCDショップに入る前だった。
 「ティーポイントカードはよろしかったですか?」と言われカチンときたけれど大人な対応。
 書庫はとりあえずルネサンスに所属。
 聖書のお勉強が必要と感じている今日この頃。