レオ・ヌッチ リサイタル 2014年11月28日オペラシティ

 昨晩オペラシティで行われたレオ・ヌッチの演奏会に出かけた。
 一昨年もここで同じようなリサイタルを昨年はスカラ座リゴレット」だったから、毎年のように聴いているのに、いつもどこか懐かしい気持ちになれる名バリトン
 実は数日前までチケットを所有していなかったのですが、とある友人がとある演奏家ブラームスを聴き「しばらくは他の音楽NGだから代わりに聴きにいってほしい。代金不要。」よほどブラームスに感動されたのだろう。
 あまりに思いがけない申し出だから躊躇したが、結果お言葉に甘えさせていただいた。
 劇場に向かう階段。以前はクリスマスの派手な電飾だらけだったけれど今年は何もなくて好ましい。現場にいるとそうでもないが写真だと寒々しい風景に感じられる。(パティオの大きなツリーは毎年同じ煌き。)この向こうにイタリアの明るい太陽が待っている。
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 以下のプログラムで当日曲目が変更になったらしい。何が増えたのか分からないが減ったものがトスティであると直ぐに気がついた。何故なら前回のリサイタルのとき「君なんかもう」「死なまほし」を聴きながらジーンとした記憶があって、なにかで今回も歌うのだなと記憶していたから。
 会場は8割の入りだったので最初から少し良い席に移動して開演を待った。じゃない単純に座席を間違えたのだ。
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 軽快なロッシーニのリズムに答える舞台裏からのヌッチの「ラララレーラ!」
 登場と同時に会場から大きな拍手!ご機嫌な表情で「何でも屋」・・声がデカイ!鼓膜に響く!Pな箇所でも早口言葉でも演技をしながら声を引かずに超絶技巧を繰り返す。素直に「ぶったまげた・・」今まで聴いてきた最高のヌッチかもしれない。普通72歳って爺さんなはずだけれど、年齢は関係ないのかな?1曲目でお客は熱狂状態になってしまった。
 「彼女に告げて」はかっこいい音楽。楽譜を持っているので「歌えるかな?」と独り実験したことがある。驚いたのはラストの音を譜面に書かれていない高いキーで長々伸ばして締めくくったこと。更にお客は加熱。その時だった若いカップルが僕の前にきて「すいません・・」と言葉にするから、「まずい・・」と心の中で呟きながら睨み付けたら「あの~隣の席空いていますか?」ってお前らもか!→「シィー!」と答えた。普段自宅でドイツリートばかり聴いていて夏でも冬の旅な孤独な詩人(朗読者)がイタリーに蝕まれていく。
 「夜の歌」「マリア・マリ」そして「亡命者」この辺りの音楽を聴いていると、学生時代に川沿いのトイレ臭い名画座オールナイトで観た古のイタリア映画を思い出す。それは「サーカス」や「自転車泥棒」「郵便配達は二度ベルを鳴らす」「ベリッシマ」「若者のすべて」etc.けっして清潔とはいえない環境の中で人々は喜びを享受。しかし時に誰かをやっかみ場合によっては愛するが故に殺人行為にまで及ぶ。ところがヌッチで聴いていると、他人や環境に左右されない意思とでも言うかもう少し純化された個人的な思いに導かれる。適当な単語を思い浮かべるなら「宿命」。しかしながら変える事が不可能な運命とは異なり、たぶん年齢を重ねれば本人の意思とは別に変化が生じているはずで、過去よりは未来、それ以上に現在の感情の機微が希望を見出す。つまり「宿望」かもしれない。ただ、しっくりこない人もいたかもしれないのはアリアのように感情移入するから。それでもヌッチの解釈は正しいと僕は思う。
 休憩時間は普段のロビーの雰囲気と異なりざわざわしていた。ショップのCDが売れまくっていた。
 第2部は興味深かった。(更に理想的な席を求めて移動。じゃない半券をなくしてしまい「確か?S席だったな。」)役柄が都度憑依するのか、歌い終わった後にほんの少しの役から抜け出すのに時間を必要とする。僕は何度もこのままオペラが続けばいいのにと願ったほど。そして「ジャンニ・スキッキ」から「シェ二エ」の飛躍!あのカルロ・ジェラールは完璧だったのではないかしらん。
 前にも似たような事を書いたかもしれないけれど、舞台上のヌッチは歌舞伎役者に似ていると思う。例えば11代目の団十郎、先代の幸四郎、期待を込めて現在の海老蔵が成長した未来。ヌッチは目に力がある。
 演奏会の白眉は「ドン・カルロ」からのアリアだった。苦悩と悲しみが感じられたことは勿論、長く歌い続けてきたことの意義。歌手の生き様が集約されていた。馬鹿らしい想像だけれど、もしかしたらカプッチルリやバスティアニーニを超えてしまったかな?僕は感動した。つまり、ようやく感動できた。それは7月にルネ・コロの演奏会を聴いてから生命のバランスを崩してしまっていた。しかも立ち直れない程に。途中の期間で聴いたウイーンPやアブデーエワには慰められたけれど、正直自分の舞台は最悪だった。ただ不思議なことに普段の仕事、司会したりは研ぎ澄まされてきたように分析している。まだ数はこなせないがそういう時期だと思いたい。ヌッチじゃないけれど柵に執着しても仕方がない。いいかげんリセットしたい。
 ヌッチ劇場は続く・・アンコールだけで一つの演奏会ができるくらい。それが以下。こんなに歌うってもう考えられない。どれも完璧な歌唱。
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 「忘れな草」で会場のボルテージは最高潮に達した。
 Non ti scordar di me, La vita mia legata è a te. おそらく前回歌詞を知らなかった人たちもこの日のために学習してきたのではないだろうか。今まで聴いたことがないくらいの大合唱になった。
 普段静かに音楽聴いているんじゃないかと思われる年配の方々も若い人とごちゃまぜになってステージ前にかけよって声援をおくる。もはやロックのライブハウス。
 こんなにお客がアホ状態に変貌したのは、グルベローヴァと昔のコロ以来ではないでしょうか。
 「忘れな草」は♪忘れないで私はあなたのもの♪・・つまりこれでお開き!の合図のような曲。ところが老若男女お祭り騒ぎ。その時ヌッチが奏者の人たちとステージ上でなにかしら相談を始めた。もしかして「オーソレミオ」でも歌うのかな?と思ったら、いきなり始まったのは「私は町の何でも屋」再び。これには本当に吃驚した。
 なんでこんなに歌えるの?つまり凄い曲ばかりのアンコールは合計7曲。
 サイン会に長蛇の列。
 可笑しな出会いは僕の後ろに偶然知人のSさん「コロ以来ですね。」→「ドン・カルロ凄かったね。私・・来月の新国のドン・カルロ買っちゃったの。」→「行くの止めたら。」
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 誰かの書き込みで知ったのですが、ヌッチ曰く「僕はあまり過去のことを考えない。未来を考えたい。でも明日のことなんてわからないね。ただ人生は美しい。」
 Grazie.Viva Nucci!
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