クリストフ・プレガルディエン&ミヒャエル・ゲース ゲーテ歌曲の夕べ
久しぶりにトッパンホールに出かけました。
全席同金額の演奏会で小さなホールだからどこでもよかったけれど、チケットぴあで奇跡的に前から6列目のど真ん中を予約できてしまった。ほぼ満席「リート好きが世の中に500人もいるんだ・・」と感慨深い。
プログラムは以下。前半はシューベルト。後半は複数の作曲家。
なかなかシャレたプログラムなのはD224の「さすらい人夜の歌」で始まりD768で終了するという詩的な展開。
前列の女性はお疲れなのか途中から熟睡。隣の人は常に下を見ながら歌詞カードを読み続け鑑賞されていた。
素晴らしい演奏会だった。
同時に幾つかのことを考えた。まずは馬鹿馬鹿しい話ですが
「生きていてよかった」
天から下りくる汝は多くの悩みや苦しみを癒し、人に倍の慰めをもっていたわる・・山の頂に安らぎがある。
「意識の高揚」
流れ行け忘却の大海原へ・・最近の自分の不甲斐無さというのか、そこそこ適当に過していたって明日も太陽は昇るもの・・逃げ出すのもよかろう・しかし何をしていても無駄・花々よ・安らぎ無し幸せ・汝の名は愛。
「母国語で歌えるプレガルディエンへの嫉妬」
美声を駆使しながらいちいち子音が美しく聞こえてくるし、なんというのか存在そのものがダンディーなのである。しかも退廃していない。・・急げクロノス!小石や切り株を飛越え・たとえつまずこうと・人生を突破する。
「ピアノのゲースが実に巧みな技術」
僕の好きなD259の方の「月に寄す」(An den Mond)では歌手がかなり旋律を揺らし、PとFも大胆に表現するのに、ごく自然に、もしかしたら誰にも作為的な部分をさとられずに時間を共有する。・・幸せとは世を隠棲し友を伴侶とする・小径を小夜更けて・彷徨い遊ぶ幸せ。
月に1度は上質な音楽を聴きたいと思い色々と模索し、時にオペラだったりオーケストラなのだけれど、どうやらドイツリートこそ自分が求めている世界だと気がつかされた。
フライングの拍手等は一度もなかった。恐ろしいほどの静寂。「魔王」でさえ沈黙。
二人のマイスターにサインを頂き、五月の夜空と微かな風のなか飯田橋駅に向かいゆっくり歩いた。
・・お前が見たものは・全てが美しい。