B.A.ツィンマーマン「ある若き詩人のためのレクイエム」日本初演 大野和士

 8月23日、神奈川県某所で朝からイベントMCの仕事があり、それなりに疲労が伴う関係で躊躇していましたが聴きにいって大正解。稀有な出来事というか人生の大きな体験になりました。
 18時開演のサントリーホール。場内に合計20程度のスピーカー(合計8チャンネルとか)が配置されテープによる音楽や言葉が複雑に絡み合う。正面には不可解な言語による字幕が投影される仕組み。合唱団を含めると約200人の出演者。(合唱はP席部分と2階席センター後方にに混声。RB席とLB席後方に男声)演奏者の椅子の多さから楽器の配置を眺めて思わず「なんだこれは!」という気持ちで写真撮影。後方から「お客様撮影は禁止です。」と注意されてしまいました。いずれにしても過去このホールで聴いた全ての音楽と比較にならない爆音が鳴り響いた。
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 B.A.ツィンマーマン(1918-70) ある若き詩人のためのレクイエム(1967-69)日本初演
 指揮:大野和士
 ナレーター:長谷川初範、塩田泰久
 ソプラノ:森川栄子
 バリトン:大沼 徹
 合唱:新国立劇場合唱団
 管弦楽東京都交響楽団
 大石将紀、西本 淳(サクソフォン)、堀 雅貴(マンドリン)、大田智美(アコーディオン)、長尾洋史、秋山友貴(ピアノ)、大木麻理(オルガン)
 ジャズ・コンボ:スガダイロー・クインテット、スガダイロー(ピアノ)、吉田隆一(サクソフォン)、類家心平(トランペット)、東保 光(ベース)、服部マサツグ(ドラム)
 エレクトロニクス:有馬純寿
 字幕映像:原島大輔
 舞台監督:井清俊博
 あまりに複雑な作品。曲の説明をするだけでブログ5回分程度は必要とされるので上記を参考にいただけると幸甚です。現在最も演奏困難な複雑な作品。(だいたい素人の小生にまともな説明できるはずがない。)長木誠司氏の解説が読めます。


 開演前にブロ友MFさんとお会いできました。初対面だったのですが、普段からやりとりしているので形式的な自己紹介も不要。インテリジェンスで温和なお人柄。なんと今年のバイロイト音楽祭のパンフレットをプレゼントしてくださいました。これはお宝。感謝申し上げます。こちらからは自分で焙煎した2種類の珈琲をご提供させていただきました。有名喫茶店には敵いませんがポタポタと時間を掛けて抽出して通常より苦めのデミタスで召し上がっていただけるとそこそこ美味しいかと存じます。
 
 まず大野和士氏×長木誠司氏による約20分間のトークがあり、休憩時間を挟んで上演のはこび。
 使用される弦楽器はコントラバスとチェロのみで、それ以外の弦楽奏者は「セイジ・オザワ・フェストに持っていかれた」と嫌味に近いジョーク。それと通常であればコンサートマスターがいる位置にマンドリンアコーディオン奏者がいるのだけれど、ごく短時間使用のコストパフォーマンスの悪さ、引用されるビートルズが何故「レット・イット・ビー」ではなく「ヘイ・ジュード」なのか等が聴衆の笑いをさそっていたが、パンフにあった大野さんの発言によれば数々のコラージュは「インテグレーション(同化)」いわゆる過去においても現在でも社会情勢がインテグレートしようとしている悪循環を指摘。作品は古典的な意味合いの贖罪を超えて人類が背負い込んでしまったテーマを予見。(ちなみに「ヘイ・ジュード」はポール・マッカートニーのオリジナルが使用された。イゾルデ「愛の死」は間違いかもしれないけれど、たぶんショルティ指揮ニルソンのそれだと思う。そういえば黄昏の動機もありました。)
 まずポイントになるのは出だしが「Post Communio」で始まること。(通常のレクイエムでは聖体拝受後)平行してローマ法王ヨハネス23世の「キリスト教全体がまとまろうではないか。」(バチカンでの公演テキスト)これには衝撃を覚えた。いきなりスクリーンに翻訳が映し出され視覚的インパクトも加わる。常識的に考えてそんなもの纏まるはずはなく悲劇的象徴以外のなにものでもない。(参考までに・・だいたいのレクイエムはRequiem aeternam「永遠の安息を与えたまえ」で始まる。)
 ちなみにコラージュされた登場人物はアイスキュロスチェンバレンチャーチルヒトラーゲッペルス毛沢東スターリン、ナジ、レーマー、ヴィトゲンシュタインジョイスマヤコフスキー、カミユ他多数。ビートルズワーグナー以外の音楽はベートーヴェン、ミヨー、メシアン等。そいつらが次々とゴチャゴチャになって現れては消える。長木さんは「字幕は意識されなくても・・」つまり同時に数人の演説等が出てくるので全て読む時間はなく認識は不可能だからと説明されていましたが、僕には文字の配列と重なり合う言葉が絵画のように面白くわりとスクリーンを眺めていたように思います。
 ということで最初の40分程度はテープ再生が主流だからその速度に合わせてマエストロがタクトを振るという進行で、そこに大編成の管楽器と打楽器そしてジャズのコンボ(いわゆるフリージャズ)、合唱、ナレーション。どのように指揮されるのかな?と思っていたら、指揮台のところにノートパソコンのようなモニターがあって(時間に合わせて数字が刻まれる。)それを視覚に入れながら巨大なスコアと格闘している感じでした。そのモニターは各セクションの合唱前にも置かれていた。つまり合唱を指揮している人もいて数字を頼りに全体の音楽を構成する。
 大まかな感想としては僕の席がRBだったので音の洪水に溺れるというよりは左右から聴こえてくるので、今思えば1階席センターが理想の空間だったのではないかなと思いました。ただ不思議に感じたのは直ぐ後に男声コーラスがいたのにそれはあまり聴こえてこなかった。何故かな?無理難題かもしれないけれど全体的にもう少し団員さんの数が多いほうが理想の音響空間が構築できたのではないかしらん。センターのコーラスも遠くのほうから聴こえてくる印象で生々しさを求めたくなりました。それとサントリーホールPAはいささか響き過ぎるようにも思った。鋭利な刃物のような作品だけにデットな空間でも聴きたい・・しかしながらサマーフェスティバルはサントリー芸術財団だから仕方がない。
 それと仕事柄気になっていたナレーターの存在。塩田泰久さん(ドイツ基本法)と俳優の長谷川初範さん(毛沢東語録)は当然だけれど、唯一翻訳された日本語でお話されていた。チケットを購入したときはドイツ語等のほうが良いのではと思っていたけれど、さほど違和感はなかった。というか力量もないけれど自分でやってみたい気分になってしまいドキドキした。
 最後は「我等ニ平和ヲ与エ給エ」が繰り返される。こいつは本来「アニュス・デイ」には含まれない形ですが、全合唱による美しきなんてもんじゃなく気が狂ったような「叫び」 それは想像を絶する時間。鳥肌が立ちました。(マーラー6番のようにハンマーが3回叩かれた。)
 スクリーンの字幕は「我等ニ平和ヲ与エ給エ我等ニ平和ヲ与エ給エ我等ニ平和ヲ与エ給エ我等ニ平和ヲ与エ給エ我等ニ平和ヲ与エ給エ我等ニ平和ヲ与エ給エ我等ニ平和ヲ与エ給エ我等ニ・・・」句読点がない驚き。
 言葉はノイズになり終了。長い沈黙。
 個人的体験としてこれほどまでに音楽から恐怖を感じたのは初めてだった。
 マエストロ大野の人生を削ったような力演。恐らく肉体精神共に疲労の極限だと思うが大丈夫かな?
 鳴り止まない拍手からマエストロがジャズ奏者に合図を送るとお祭り騒ぎのような即興アンコール。
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 演奏会の余韻を引きずりながら銀座の宮越屋珈琲店でフレンチローストの強めを注文。
 店内のBGMはジャズ。違和感なし。
 バイロイトの冊子を読みながら深夜に帰宅。様々な写真があって楽しい。
 頭痛。興奮のあまり寝れず。