ウィーン その4

前日同様に朝食抜きにして、カフェで珈琲をいただき、ご遺族と約束していた故山路芳久さんのお住まいだった元ご自宅まで地図を頼りに歩き続けること40分。山路さんの姉上からのメールでは「オペラハウスの直ぐ近くや」だったのですが、途中から「遠いよ~」・・半分帰りたくなってしまいましたが、ここまできて引き返すわけにもいかないから必死で捜索。そしてついに発見した。(この情報及び写真はとりあえず姪御さんに添付メールするも、近々写真をプリントアウトして三重のご実家まで届ける予定です。)
 その後ランチを予約した名店「プラフッタ」までタクシーでふっとばしてもらい、どうにか約束時間に辿り着きました。本場のターフェルシュピッツを食べてみたいと思っていたのです。
イメージ 1
 見た目はウィーン風鍋料理なのですが、ブイヨンスープの中に茹でた牛肉、まずそのスープをいただき、後からお肉をいくつかの調味料で食す。これが最高に美味しかった。
イメージ 2
 スタッフがそのつど食べやすいようにサーブしてくれるルールのようですが、全て自分でやりたくなってしまいお申し出を丁寧にお断りしました。僕はナレーター以前に数年間ホテルやレストランでのサービス経験があるのでややこしい食材が運ばれてくると自ら手を動かしてみたくなるのです。他には焦げ目の美味しい鱸と旬のホワイトアスパラガス。パンとビール・・想像以上にお腹がいっぱいになってしまい、その後の街を歩きながらノロノロしていたように思います。
イメージ 6
ここは昨日よりは若干高額でしたが、緻密で繊細なお味のソースや食材の火の通し加減が絶妙で、また来店したい希望を持ちました。ただ独りで行くようなレストランではないので、誰かしら喜びを分かちあえる相手が必要かもしれません。
イメージ 7
 それから日程や前後関係も忘れたけれど、シュテファン寺院のカタコンベに行った。
 イングリッシュツアーだったのでだいたい理解できたような、できなかったような。ガイドさんは髭を生やしたゲルマン系のドイツ的アクセントだったから困惑。 
 地下のカタコンベは暗く迷路のようで、偉大なるハプスブルク関係者の立派な棺が並び表の壮麗さとは異なる世界。さらに細い通路を進むとペストで亡くなった人々等の遺骨が山のように安置されていて、見方によればただ積み重なっているだけで、よく都市伝説のような番組で取り上げられるあの世の存在やら生命の再生なんて無駄な考えとしか思えなくなってくる。つまり目の前の遺体が全てであり人生はそれでお仕舞い。
 ※僕の考えでは「ここにモーツァルトがいる」と思う。 
 それから「オペラ博物館」なるところに行きたかったのですが、あるというゲーテガッセ近辺をウロウロしてみたけれど、どこにも痕跡がなく、道路掃除していた紳士に聞いたら「あれは無くなったよ。」・・がっかり。
 舞台で使われた銀の薔薇やボニゾッルリのカラヤン殺人未遂事件のマンリーコの剣を見たかった。
 馬鹿の剣よいずこへ・・・・でもそんなマニアックすぎる展示品なんて世間の誰も必要としていないでしょうから、採算が合わずつぶれたのかもしれません。
イメージ 8
 その後、またしてもナルコレプシーに襲われ、劇場裏アルヴェルティーナ美術館の階段上でダウンする俺。
 この時は腰痛含めかなりの重症で「今夜のオペラ行けるかな?」でしたが、リンクレイターの映画でまだ肌にハリのあったジュリー・デルピーが同じ場所に横たわり、イーサン・ホークがオーデンの詩を朗読する美しきシーンを思いだし間接的にジュリーと一つになれた気持ちになったのでした。ブロンドヘアーのフランス女性とのゆきずりの恋を夢見る。
イメージ 3

 その後ホテルに戻りタイマーをセットしてベッドに倒れこみ数時間記憶なし。
 ツレは一人でどこかに遊びに出かけていたみたい。
イメージ 9

 そして旅行の目玉であったRシュトラウスカプリッチョ」19時開演のアンデア・ウィーン劇場に潜入。
 この舞台だけは平土間正面の2階天井のかからない席で鑑賞したくてそれなりの投資。とはいっても日本での外来オペラに比べたら安価なものだから現地の人がうらやましい。

 Konversationsstück für Musik in einem Aufzug (1942)
MUSIK VON RICHARD STRAUSS
LIBRETTO VON STEFAN ZWEIG, JOSEPH GREGOR,
CLEMENS KRAUSS, RICHARD STRAUSS, HANS SWAROWSKY
In deutscher Sprache mit deutschen Übertiteln
Musikalische Leitung Bertrand de Billy
Inszenierung Tatjana Gürbaca
Bühne Henrik Ahr
Kostüme Barbara Drosihn
Licht Stefan Bolliger
Dramaturgie Bettina Auer
Die Gräfin Maria Bengtsson
Der Graf, ihr Bruder Andrè Schuen
Flamand, ein Musiker Daniel Behle
Olivier, ein Dichter Daniel Schmutzhard
La Roche, Theaterdirektor Lars Woldt
Die Schauspielerin Clairon Tanja Ariane Baumgartner
Monsieur Taupe Erik Årman
Eine italienische Sängerin Elena Galitskaya
Ein italienischer Sänger Jörg Schneider
Der Haushofmeister Christoph Seidl
Acht Diener Sebastian Acosta, Thomas David Birch,
Stefan Dolinar, Richard Helm,
Florian Köfler, Marcell Krokovay,
Max Lütgendorff, Angelo Pollak
Wiener Symphoniker
Neuproduktion des Theater an der Wien
PREMIERE
Montag, 18. April 2016, 19:00 Uhr
AUFFÜHRUNGEN
21., 23., 25. & 29. April 2016, 19:00 Uhr
2. Mai 2016, 19:00 Uhr
EINFÜHRUNGSMATINEE
Sonntag, 17. April 2016, 11:00 Uhr
イメージ 10
 前日以上に服装に気を使い普段の生活では考えられない派手なシャツにブラックフォーマル。こんなの仕事を頂だいしているホテルで着たら気が狂ったと思われ、そのまんま出入り禁止になるだろう。
イメージ 11

 指揮のBertrand de Billy。ここ数年ウェブラジオで色々な演奏家を聴いてきたけれど、音楽作りが洒落ていて好ましい。そして期待の女性演出家Tatjana Gürbaca。僕は素直に演出に心奪われた。
 ただし、途中で席を立つ人が多数(笑)・・具合が悪くなったのか?イメージしていた舞台じゃなかったのか?
 個人的には「そこそこ刺激があっていいんじゃない。それにパリのフレミングみたいな舞台じゃ困ります。」
イメージ 12
 出だしの6重奏のところからGürbacaは仕かけてきていて、壊れた楽器のあるステージで頭に血の滲んでいるFlamandと腹部を怪我したOlivierが死者のような姿をさらしている。↑の写真の階段(ヘルメットや軍服が並んでいる)のところにいるのは主人公。なんとなく音楽家と詩人は既に死んでいるのかなと想像できたけれど、Flamandは衣装や鬘から見た目がモーツァルトを連想させ、Olivierはおそらく有名な文筆家の比喩なのでしょうが、僕には写真で見たニーチェを思い出させた。自殺なのか戦争によるそれなのか判断はできないが、同じ舞台にありながら別次元を浮遊しているように見え、主題は消えることのない悲しみと連想。この時点で2人とマドレーヌの交流はない。
 もちろん歌が始まれば様々な登場人物との掛け合い始まり関係が育まれ、マドレーヌ以外は顔色が悪いけれど生き生きと芝居が進んでいく。1度きりの鑑賞だったので(ああ2度観ればよかった・・)細かな部分は思い出せなくて悔しい。気のせいかもしれませんが、階段が8段あって、最初は原稿用紙にのように思えたのですが、平らな部分に音階を並べるとドレミファソラシドなどとお馬鹿な想像。
 帰国してからオーストリアの新聞かなにかの記事を読んだのですが、ナチがどうのこうのという内容で、確かに欧州の傷は計り知れないと思うけれど、僕はもっと個人レベルの笑顔と涙の日常世界に導かれた。それでもバレリーナの髪を男たちが引っぱれば実は鬘で娼婦のごとき坊主頭だったり(ここでまた帰る人がいた)イタリア人歌手が持ってきた三色の国旗を詩人と音楽家が引き裂くとグリーンとの境目が切れる仕組みになっていて、紅白のオーストリアが浮かび上がるなどドキリとするシーンは幾つか存在した。
イメージ 4
 残された者は生きていかなければならない。そして喜びは削がれ都合のいい人生を脚色するかもしれない。でも人は別れを体験したときに何を思うか、恐らく「もっと愛してあげたかった。」ではないかと感じる。
 思い出は美しく、そして時に滑稽なもの。滑は乱で稽は同。巧みに是非を言いくるめワインがとめどなく流れ出るように淀みない弁舌の如し。サリエリじゃないけれど『まずは音楽、それから言葉』 どこか形式に束縛されないブッファであってほしい
 コメディな場面では奇妙なダンス。ビクビクしながら飛び上がり足の先端を階段の外に乗せいったりきたり。枠の外は彼らが生きられない裏の世界の象徴なのか?それから途中、車椅子や支えがなくては歩けない数人が登場し出演者に語りかけるも意思の疎通ができないというシーンがあった。やはり出演者は死者なのかと確信。
 事態の深刻なさまと喜劇的要素が絡み合い感動的に思われた。
イメージ 14
 歌手は皆が素晴らしかった。役得なのかもしれないがMaria Bengtssonが最も印象深く、Daniel BehleとDaniel Schmutzhardはもう少し響きのある声かなと期待していただけにちょいと拍子抜けだったけれど、言葉の特に子音が美しくチャンスがあれば紀尾井あたりでシュトラウスのリートを聴いてみたい。それから驚いたのはLa Roche役のLars Woldt。声がデカイ!この人だけマイクを使っているみたいな雰囲気でアンデア飽和状態(笑)カーテンコールでも喝采を浴びていた。
 出演者の巧みな重唱やBengtssonの独唱の背後で鳴り響くその後の動機など、Rシュトラウスはワグナーを尊敬しつつ先人の辿り着けなかった世界を表現しようとしたと痛感。
 「月の光の音楽」ではホルンが完璧な演奏。Wiener Symphonikerは上手い!この街に存在するかぎり永遠の2番か3番目のオケでしょうが、旬のマエストロBertrand de Billyの指揮でピット内の音が、しかもシュトラウスで聴けたことは大きな財産。「月の光」といえば音楽の中マドレーヌが静かに3つのキャンドルを階段に置く。最初は1番上の段。音階でいうなら上のC音。続いて2段下のA音。子供の泣き声は世界共通「A」である。そして最後に一番下のいわゆる外の世界に。美しい。他の出演者は静かに立ち去る。もしかしたら死者は孤独なマドレーヌ自身だったのかもしれない。
 「お食事の準備が整いました。」・・暗転。一話完結のドラマ。
イメージ 13


 
 
 夜風の中、シュトラウスの余韻に浸りながらホテルに向かいました。
 信号のところから見える国立歌劇場。この日はドンパス。カプリッチョも両方とも山路さんの持ち歌。
 僕は睡眠薬を飲んでも眠れなくて、記憶は曖昧だが独り深夜どこかを徘徊したみたい。
 音楽の話は以上ですが、「その5」最終話に続く。
イメージ 5