エレーヌ・グリモー協奏曲の夕べ

 5月19日19時開演のオーチャードホール。私のエレーヌの2日目。
 この演奏会は「ヴェンゲーロフ フェスティバル2016」の1プログラムだったようです。
 第4回目のフェスティバルと記されていたので毎回楽しみにしているヴェンゲーロフのファンが大勢いるのでしょう。事実ヴァイオリンケースを抱えた学生やスコアを見つめながらお聴きになっている人がいました。とは申しましてもこちらにしてみれば最初からグリモーのことしか考えていない。
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 今回はちょいとした共時性がありまして、ブロ友nemo2さんと奇跡的に隣の席。
 個人的に数学の確率は苦手で理解できず(たぶんとんでもない数字になる。)主観が法則をどう把握するかとか把握のための概念等の考察にも関心がなく、ユングじゃないけれど無意識のうちに意味とは何かを定義する方が面白そうで、音楽好きな2人がグリモーに導かれて「こんばんは、本当に隣ですね。」それをバッハとラヴェルと呼びたい。
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 バッハ ピアノ協奏曲第1番BWV1052
 ベートーヴェン ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品61
 休憩時間
 ラヴェル ピアノ協奏曲ト長調作品83
 アンコール ラフマニノフ ボカリーズ (ヴァイオリン&ピアノ)
 マキシム・ヴェンゲーロフ(Vnと指揮)
 
 とにかく真正面のお席。エレーヌはリサイタルの時とは異なり髪の毛をお団子にして登場。そのぶん痩せて感じられた。バッハは弾き振りでした。以下は参考までにyoutubeです。
 https://www.youtube.com/watch?v=XjR0IY3YsvQ   1~2楽章 (この動画楽章の後に拍手がある)
 https://www.youtube.com/watch?v=eOGjDVEDGkk  3楽章 (音だけ)
  バッハに関しては動画でもそうですが楽譜を見ながら演奏。今回聴いた公演で楽譜を使用したのはバッハとアンコールのボカリーズだけだったのですが、改めてこの曲を聴きなおしてみると楽譜存在は弾き振りであるがゆえに全体構成を考えた上で必要不可欠なアイテムだと分かる。本公演の感想。幾つかの書き込みを読んでいたら楽譜存在を否定している人がいたけれど、視覚的要因に捕らわれすぎているように思ったのは音楽に接すればグリモーが深い部分でバッハと共鳴していることが理解できる。何を感じるのも人の勝手で場合によって批判もいいけれど実に聴き方が浅い。
 https://www.youtube.com/watch?v=4BOB1NY38AA ちなみにこちらは指揮者がいる動画。グリモーに楽譜は無い。そしてどこかしら指揮者の哲学が無駄に介入。どちらが優れた演奏なのか比べれば誰でもわかる。
 詳しい内容についてはこちらのブログをご参照ください。 http://blogs.yahoo.co.jp/icecamomiletea/18485230.html?vitality (nemoさん、すいません。疲れているので。)
 そういえば第1楽章で2~3箇所アンサンブルに揺らぎがあった。ライヴならではの緊張感は音楽的だった。
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 2曲目はヴェンゲーロフの弾き振りでベートーヴェンの協奏曲。ここでは一切の揺らぎはない完璧な演奏。
 ただ始まった瞬間僕は思った。「遅い・・」
 誰かが言ったシューベルトを「天国的な長さ」と・・「まずい、このままでは地獄的な長さになる。」
 最近ベートーヴェンがやたらクドく感じられて、ピアノソナタ室内楽だけで充分と思っているのですが、なんとなく一生分のヴァイオリン協奏曲を鑑賞してしまった気分になり、もうこの曲も運命も二度と聴くまいと考えた。
 コンサートマスターさん「ブラボー!」です。
 詳しい情報はこちらのブログをご参照ください。 http://blogs.yahoo.co.jp/icecamomiletea/18487201.html
 (nemoさん、すいません。だってベートーヴェン思い出したくないんだもの。)
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 休憩時間に「もう20時30分ですよ。」って、もしかしたらベートーヴェン1時間くらいかかっていたのかもしれない。いずれにしてももの凄く熱い(暑い)演奏だった。
 そしてラヴェルのピアノ協奏曲。ヴェンゲーロフの指揮はラッキーなことに響板であまり見えなかったけれど情熱的な解釈がお好きのよう。しかしここでのリーダーはグリモーが受け持つ。笑顔を交え己の信じる道を突き進む。タッチは強い。
 彼女は自由によく独立に、社会に住んで社会に圧せられず、無窮の天地に介立して安んずる。
 以下は参考までにyoutube
 バッハから気がついていたのですが、正面目の前にピアノがあるとオケの音が若干遅れてやってくる印象があって、その微妙なズレ?コントラストが非常に面白く感じられた。ヴァイオリンでは奏者は少し前に立つがオケとほぼ同時に聴こえてくるが、ピアノの場合だとドリルかなにかで壁を突き破ったみたいに鳴るから、質感の概念そのものが全く異なった形で到達する。それでいて音色はシルクのように滑らかな光沢を放つ。
 2楽章(Adagio assai, 3/4拍子ホ長調) 心に残る時間となった。元々センチメンタルな音楽ではあるのだけれど、最近自分が弱っているからなのか、目の前にいるはずのエレーヌが突然いなくなってしまうような気がしてドキリとした。誤解されたくないのはエモーショナルではなく寧ろ正反対の世界だから、あくまで個人の感想なのだけれど信号に例えるなら青が点滅し黄色になる直前のような危うさがあるのです。まだまだ技術の衰えとは無縁。それでも切ない気持ちになるのは一番輝いている時期が今だとわかるから。いつまでも聴いていたい終わらなければいいのに。
 現在最も美しい音楽がここにある。
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 終楽章、頭のラッパが鳴らなかった。思わずズッコケそうになる。ほんの一瞬オケを含め会場全体に取り返しのつかないような躊躇いの空気が流れるも、ピアニストは今とほんの少し先の未来だけが全て、お構いなしにラヴェルは加速する。
 以下、いつものように書くことに疲れてきたので端折ります。
 ドキドキ、ワクワク素敵な演奏が聴けました。(管楽器の皆様、難曲お疲れ様でした。)
 しかし病気はもう大丈夫なのかな。極端に痩せているし心配。
 ヴェンゲーロフ!何度もエレーヌにキスしやがって・・nemoさん曰く「洗ってほしい。」

 終了後、イタリアンレストランに入店しかかるもボッタクリバー的な空気を感じ取り、あわてて普通の居酒屋の門を叩く。「グリモーに乾杯!」