ホーフブルク宮殿のミサ

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 4/16(日)ホーフブルク宮殿礼拝堂でのミサに立ち会うべく早い時間にホテルを出た。
 敷地が大きすぎてどこに礼拝堂があるのか迷いました。
 チケットは予約済みで(10€)別に音楽だけが目的ということでもないから、上の階左端の祭壇もなにも見えない席。
 ちょうどオケや合唱が演奏している真下で、天国からの調べとはこういう雰囲気なのかなと思った。
 ↓は前列からの眺め。
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「K 337  Missa solemnis」
 モーツァルトザルツブルク最後の作品で、もちろん復活祭のそれですが、本を読めば作曲家は苦悩の只中にいて幸せな時期ではなかったよう。でも不健全な要素は見えてきません。
 キリエ、グロリア、クレド、サンクトゥス..お決まりの形で進むが、僕は大体の日本人と同じ仏教徒みたいで、みたいというのは所属はしているけれど信仰していない典型的なパターンだから、きちんと学習しておきたいと出発前アーノンクールのK337ばかり聴いていた。
 でも実際にはキリエ→司祭のお話→次の曲、その繰り返しという流れ。
 この曲には後のフィガロで使われる旋律があると「アニュス・デイ」様々な研究家が指摘している。
 しかしこの部分僕にはどうしてもグルッグのオルフェオ動機に聴こえてきてしかたがない。
 どちらが先なのか細かい話は知らないし興味もない。(これは独り言。)

 ミサは想像以上に長く、安易に1時間程度だと思っていて、途中からトイレに行きたくなり「早く終わらないかな」ばかり考えていた。ちなみに大である。
 途中立ったり座ったりも膀胱に悪く、「もう限界」と感じ始めたときに周囲の真面目な信者多数から握手を求められ、無視するわけにもいかず笑顔で「ダンケ!」
 その後お仕舞いを告げるハレルヤコーラスは真に天国からの調べと思われ、司祭退場後のバッハのオルガン曲と共にトイレへ走った。(正直な感想として、少年合唱は素敵でしたがソプラノは音痴で吃驚。)

 てなわけで非常に不健全な参列者だったかもしれませんが勉強になりました。
 礼拝堂という社会から遮断された空間で他者と心を共有。
 異なる話ですが大学で勉強した茶の文化史でのにじり口を閉めることで独特の意識高揚を獲得するお話を思いだした。
 改宗も悪くないと思う今日この頃。
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 写真は地下鉄のポスター。
 ハプスブルクのお膝元はカトリック教会ばかりですが、調べてみると幾つかのプロテスタント教会も存在している。
 今年はルターの宗教改革から500年、テレビではその関係の番組が多数放送されていた。
 パルジファルの感想も書こうと考えていましたが、次回にいたします。
 
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 シュテファン寺院裏手にモーツァルトの名前が記されているキリストを見つけた。
 「あなたの音楽をウィーンで初めて聴きました。・・・ひょっとして大の欲求はアマデウス?」