ブルグ劇場「オレステイア」ペーター・シュタイン
NHK音楽祭についてぴあからメールがあって、10/1(日)ペトレンコ&バイエルン国立「ワルキューレ1幕」他(フォークトのジークムント)、11/9(木)フェドセーエフ&チャイコフスキー響「オネーギン」演奏会形式全曲、両方とも当選してしまいました。3月だったか先行予約で最安席を申し込んでおいたもの。競争率が低かったのかな。
ウィーンの続き。(この街での悩みは乾燥。水を携帯していなければ辛い。)
4/17(月)午前中はシェーブルンのイースター市で緩いお買物。
夜は何も鑑賞しない予定でしたが、前日オペラハウス裏にあるプレイガイドでブルクテアターの「オレステイア」を予約した。「ドイツ語上演だけれどいいのか?」なんて質問されながら、とにかく購入。僕の席は15€。安い!
初めての劇場。
↑はブルクの入口。芝居に集う人は皆がお洒落でどことなくインテリ臭もする。
同時刻国立オペラでは「仮面舞踏会」で人気のベチャワがリッカルドでしたが、鑑賞してきた作品の流れが壊れてしまう気がしてギリシア悲劇をチョイスした。というか<人生時間がない>と強烈に感じていて、なにもヴェルディに限ったことではないけれど物事を冷静に判断したい。
ロビーはシンプルな作り。
かつての名優たちの絵画が飾られている。
こんな写真も。
初めての場所はわくわくする。
かなり刺激的な舞台。↓ご参考まで。爆発の演出は心臓に悪い。
https://www.youtube.com/watch?v=FPwQXChP8pw
アイスキュロス・・・言語との戦い。
それでも夢中になれたのは、比較的馴染みのある作品だったこと。そして演出にもよるだろうけれど(プログラムも買わずにいてあとから気がつきましたが、ペーター・シュタインだった。)わりと簡単に言語の壁を乗り越えられるみたい。たぶん旋律を追いかけてしまうオペラはどこかしら悪循環。演じる側は言葉が音符に束縛されず、観客の思考回路は開放される。
ステージ前方に床置きタイプのマイクが2つ。音響のよけいな加工がなく最初は生声かと思っていた。シーンによって音楽とはいえない効果音。しかし基本的には役者のそれだけだから発声含めて高度な技術が要求される。
今後チャンスがあればパルケットで鑑賞してみたい。
でも皆身体が大きいから前列にワルキューレなんて状況になったら何も見えないだろうな。
終演後、雨のなかホテルまで歩き様々な夜の人々や景色を眺めた。
そして<人間も世界との関係も偶然、根拠も意味も目的もない。>カミユみたいなこと考えた。
ギリシア悲劇での復讐。もちろん善悪は判断されたが、大義名分を持ちながら知らずままに身内を殺害したり或いは近親相姦、これは犯罪?神様の裁きじゃないから人が解決するしか方法はない・・たぶんどうすることもできない。それを悲劇と呼ぶ。だってそういうお話ばかりだから。
昨日のミサを振り返り、巨大な宮殿の片隅で偽善とまでは思いたくないけれど、信者は満たされた表情になり涙をうかべる。悩みを抱え懸命に生きている庶民に教会は優しく語りかける。
昨日のミサを振り返り、巨大な宮殿の片隅で偽善とまでは思いたくないけれど、信者は満たされた表情になり涙をうかべる。悩みを抱え懸命に生きている庶民に教会は優しく語りかける。
「隣人を愛せ」ああ、あれが求められた握手だった。
部屋でテレビをつけると緊迫した社会情勢が映し出された。
善悪の彼岸はあると思った。