バイエルン国立歌劇場公演「タンホイザー」9/25

 https://www.youtube.com/watch?v=ehg2OcG-0Bw ←は参考資料
 
 ワーグナー作曲「タンホイザー」全3幕 Richard Wagner Tannhäuser Oper in drei Aufzügen
 指揮:キリル・ペトレンコ Musikalische Leitung:Kirill Petrenko
 演出・美術・衣裳・照明: ロメオ・カステルッチ Inszenierung, Bühne, Kostüme, Licht:Romeo Castellucci
 振付:シンディー・ヴァン・アッカー Choreographie:Cindy van Acker
 演出補:シルヴィア・コスタ Regiemitarbeit:Silvia Costa
 ドラマトゥルグ:ピエルサドラ・ディ・マッテオ、マルテ・クラスティング Dramaturgie:Piersandra di Matteo,  Malte Krasting
 映像デザイン:マルコ・ジュスティ Videodesign und Lichtassistenz:Marco Giusti
 合唱監督:ゼーレン・エックホフ Chor:Sören Eckhoff
 領主ヘルマン:ゲオルク・ツェッペンフェルト Hermann, Landgraf von Thüringen:Georg Zeppenfeld
 タンホイザー:クラウス・フロリアン・フォークト Tannhäuser:Klaus Florian Vogt
 ヴォルフラム・フォン・エッシェンバッハ:マティアス・ゲルネ Wolfram von Eschenbach:Matthias Goerne
 ヴァルター・フォン・フォーゲルヴァイデ:ディーン・パワー Walther von der Vogelweide:Dean Power
 ビッテロルフ:ペーター・ロベルト Biterolf:Peter Lobert
 ハインリッヒ・デア・シュライバー:ウルリッヒ・レス Heinrich der Schreiber:Ulrich Reß
 ラインマル・フォン・ツヴェーター:ラルフ・ルーカス Reinmar von Zweter:Ralf Lukas
 エリーザベト、領主の姪:アンネッテ・ダッシュ Elisabeth, Nichte des Landgrafen:Annette Dasch
 ヴェーヌス:エレーナ・パンクラトヴァ Venus:Elena Pankratova
 羊飼い(声):エルザ・ベノワ Ein junger Hirt (Stimme):Elsa Benoit
 羊飼い(少年):ティモシー・モーア Ein junger Hirt (Szene):Timothy Moore
 4人の小姓:テルツ少年合唱団 Vier Edelknaben:Solisten des Tölzer Knabenchors
 バイエルン国立管弦楽団:Bayerisches Staatsorchester
 バイエルン国立歌劇場合唱団:Chor der Bayerischen Staatsoper
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<祝祭への道>
 バイエルンオペラの「タンホイザー」を鑑賞してまいりました。
 ついにキリル・ペトレンコが聴ける。ここ数日間タンホイザー以外の音楽を聴かないようにして、全てのどうでもいい生活課題を解決させ頭を空っぽにする努力をしていた。メールもせず。電話にも出ず。移動中は耳栓。ローマへの孤独な巡礼者のように美しい景色を気にせず茨のなか聖地へ歩みを進めた。(渋谷には美しい景色も茨もなく聖地にもならない国営放送劇場だけれど)
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                          ≪もっと前で観たいな≫
 開演前1階ロビーで持参した水出し珈琲を飲んでいたら、その昔オペラ安席行列や旅先で知り合った数名がいることに気がついた。変わらないなと思いつつ、こちらは人と話したくない気分だから隠れるようにしていた。
 赤川次郎さんが手を後ろに組み誰かと話している。井上道義さんが人目を引くスタイルで歩いている。故澁澤龍彦さんの奥様龍子さんも。通訳の松田さんは忙しそう。NBS主催らしいと感じた。
 そして天井桟敷。でも真正面。演出の関係で恐らく正面でなければ見えない部分があったから幸運だと思いました。
 細かく説明すると大変。そこでdailymotion。6月バイエルンでの全曲がアップされているので(BRで配信されていた公演と同じものです。)興味のある人は参考になさってください。youtubeよりはるかに綺麗な画質です。
 序曲~最初に感じたのはオケが上手いということ。前回ケント・ナガノで「ローエングリン」聴いたとき、いきなり前奏曲で素人みたいな音でずっこけそうになったと思い出した。同じオケじゃないみたい。素晴らしいサウンドは最後まで続いた。
 まず武器としての矢(プリミティブな武器)序曲と同時にカステルッチは仕掛ける。洋風の袴に上半身裸の女性たちが巨大な目に向けて矢を放つ。目は観客の視線を表わしている。役者の動きは一定のリズムがあり調和を重んじているもの。危惧していたのは旋律に合わせて行われる演技が音楽を邪魔するのではないか?だったが、悲しいかなそれが当たってしまった。素晴らしい演奏だけに残念な印象。また全幕通して演劇目線と音楽のそれが融合できていない部分が幾度となく現れ、その度に集中力が妨げられた。
 ミュンヘンの舞台では、序曲お仕舞いのところでタンホイザーが壁を登るが、東京でその箇所は省かれていた。別に無くてもいいと思っていたけれど、集められた弓を一つに纏めワイヤーのようなもので上部から引き上げるシーンで、弓が最後までむき出し状態で上のほうに見えていたから、前後ひっくるめてNHKホールだと引き上げ作業が不可能なのかな?と余計なことを考えてしまった。
 ヴェーヌス(パンクラトヴァ良かった。)とタンホイザーの場面では最初から最後まで斜幕が下りている状態で些か息苦しさを覚える。動きは少ない。前列の紳士が眠り始めた。
 それでフォークトですが、1幕出だしはこの人にとって鬼門なのかもしれない。ひやひやしたのは声出しのタイミングが遅れるから何度もマエストロに助けられている状況。動画の日はそこそこ上手にまとめているけれど、ラジオで配信されたバイエルン初日ではその悪い癖が如実にあらわれていて、厳しい言い方だけれど、その時に近い歌い間違いだったと思う。ベックメッサーなら×印をつけたかもしれない。でも問題に感じたのはここだけで、その後は第一人者の歌唱を存分に発揮。
 狩をしていた城の住人は皆素晴らしい。アンサンブルにおいてはどうしてもツェッペンフェルト(個人的にファンである)の美声が目立ってしまうが、ヴァルター役のディーン・パワーが聴こえてきたとき、久しぶりのドイツ的テナーだと思えた。そうなるとフォークトは?となるけれど感じたことは事実。それ以前にディーン・パワーってドイツ人じゃないと思うけれど。それと視覚的に気になったのは城の住人は皆同じような衣装メイクで、遠くからだと誰が誰だか判断できない。どうでもいい存在と考えているとしか思えない。
 2幕ではアンネッテ・ダッシュ。実はあまり期待していなかったのですが、僕の耳がおかしくなければ素晴らしい歌声だった。バイロイトのエルザでの極端なビブラートと淡白な表現がどうも苦手に思っていましたが、ペトレンコの指導か個性を発揮する必要のない演出の恩恵か、とにかく理想的なエリーザベトとして披露された。ここでのヌードがプリントされた衣装なのだけれど、ヌードに見えなかったのはこれもまた遠い席だからかな?もしヌードの絵が薄くなっているとしたら、コスタ!先週話していたことと矛盾するんじゃない。
 ゲルネも良かった。ちょっと気がついたのはカステルッチの舞台だとヴォルフラムの存在が希薄になっているように感じられること。タンホイザーとエリーザベトは近くにいるのに、同じ空間にいない?3幕の反転なのか、精神的犠牲を払ったヴォルフラムが現実世界なら、主役2人は既に死に捧げられていると思えなくもない。
合唱素晴らしい。
 このあたりから「ペトレンコって本当に凄い!」でも僕はまだ半分冷静で「バンダとズレたみたい」みたいというのは繰り返しになるけれど、ステージから遠い遠い席だから。
 歌合戦ゴタゴタのあとヘルマンが朗々と歌い、その後アンサンブルへと移行する箇所から☆ペトレンコ加速!(帰宅後調べたらミュンヘンのときより東京は速い)精緻なアンサンブル。これがかっこよくて、わりと単純な仕掛けに反応してしまう我が脳細胞。
不満は照明。舞台が見にくい。
 休憩時間・・残った水出し珈琲を飲んでいたら知らない女性に「3幕の見どころはどのあたりですか?」と話しかけられた。年の頃なら40前後。花柄のブラウスにCHANELのバック。濃いめのアイラインとリップ。逆ナン?しかしそれどころではない!外国人のふりをして逃げた。
 3幕・・照明問題に苛立ちを覚える。よく見えない。暗くしたい意図は分かるけれど、視界を良好にする方法はあるように思うのだがいかがなものでしょう。NHKホールだからということはないと思うのだけれど・・そうそうNHKホールといえばステージの幅がバイエルンより長いのかな?装置や演者の配置によって無駄な空間が多いように感じられた。その感覚は最初からあったのだけれど、3幕で例えば「ローマ語り」後ヴェーヌスのシーンでは遺体係り以外の動きがない(何も変化がない)から舞台の隙間ばかりが目立ってしまう。動画の場合、映像作家はアップにしたり斜めからのアングルに切り替えたりと編集で上手いこと誤魔化している。若干音楽的にも薄い印象があるシーンですが、おそらくワーグナーは舞台を想定しながら作曲したように思うのです。
 フォークトは頑張りました。透明感があって音符を手に取るように美しく歌う彼の特徴だけではなく、歌手を超え役者として精一杯喉声で劇場を満たすようなインパクトを提供した。残念なのは序曲同様に視覚は別の場所に導かれてしまうところ。遺体置き場は「Klaus」と「Annette」時間軸のアイデアは素晴らしいけれど、音楽と共に昇華する方法を探し出してほしい。満たす事が出来ない欲求や価値を実現させることが演出家の仕事。
 余談ですが、壁を登る同様に他にも幾つかの改定がくわえられていた。ミンネゼンガーたちの衣装。それから目立つところでは終演時の矢のオブジェが揺れずに静止している状態でした。これはよかった。動かさないに賛成なのは象徴としての矢だから。ゼノンの矢。物体と等しく対応しているときに常に静止して見える。(移動するものはその瞬間おいて常にそれ自身と等しいものに対応している場合は移動する矢は動かない。)確かアリストテレスの主張だった気がしますが、どこかのタイミングで論破されたはずです。灰になり実社会で結ばれなかった2人が天上世界で真実の愛を獲得するならば、加速する矢は静止或いは静止しているように見せることが、死者への安息を願う人々の祈りとして結実するように思われた。
 というわけで様々なストレスと戦いながら、最後はペトレンコのマジックにやられて頭の中が波打つようにグラグラしてしまった。つまり音楽に感動。 
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       ≪なんだかわからない写真ですがカーテンコールでのペトレンコ。大騒ぎでございました。≫
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                         ≪終演後のロービーと人々≫
 先ほど、宮本亜門さんのつぶやきを読んでいたら<崇高な人間哲学の極みへと昇華・・これぞアート、これぞ人間芸術だ>と記されていて、あっそうと思った。つまり小生と正反対の考えが日本を代表する演出家のご意見だったようです。でも衝撃を受けた気持ちはわかります。舞台上には国内で容認されないだろう自由があったから。
 渋谷のバーで水割り飲んで帰宅しました。