キリル・ぺトレンコ指揮バイエルン国立管 10/1 「子供の不思議な角笛」

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                            「祝祭への道」再び
 
 10月1日15時開演
マーラー子供の不思議な角笛』から
<ラインの伝説>
<トランペットが美しく鳴り響く所>
<浮き世の生活>
<原光>
<むだな骨折り>
<死んだ鼓手>
<少年鼓手>
 バリトン:マティアス・ゲルネ

ワーグナーワルキューレ』から第一幕 
ジークムント:クラウス・フロリアン・フォークト
ジークリンデ:エレーナ・パンクトラヴァ
フンディング:ゲオルク・ツェッペンフェルト 
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 ということで、渋谷の人ごみをかき分け坂を上り一週間ぶりのNHKホール。
 湘南ライナーのホームから遠いことが悩みの種。
 会場内で誰かがお話しされていて何かなと思ったら西村朗氏のプレトーク。あえてロビーにいたけれど、真面目そうで優しい口調の音声がスピーカーから聞こえていた。 
 このコンサートには知人が少なくても5人は来ているはずだったが建物の中では誰にも会わなかった。
 先日よりは少しだけ舞台に近い席。タンホイザーでは練習音が煩かったけれど、今回はステージ上に誰もいなく微かな管楽器の音が裏で鳴っているだけ。好ましい。
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 当初全曲歌うのかなと思っていましたが、さすがにゲルネだけでは大変なのでしょう。7曲で構成されていた。
 僕はマーラーあんまり詳しくないのですが、歌曲には愛着を感じていて、特に「角笛」の陰気で救いのないドイツ的マザーグース。民衆詩の生々しさよ。伝承とは良いものだけが残ると考える。作品に独特の気だるさを覚えますが、ここ数年のテーマ「ヤナーチェクのオペラ鑑賞計画」とも感覚的に繋がりがあるのです。
 まず興味を持ったのは曲目とその順番。たしか演奏する人が自由に並べていい作品。
 「原光」を真ん中に、一曲挟んで「死んだ鼓手」最後に「少年鼓手」。つまり「角笛」認識が10曲だったとしたら、枠からはずされた1曲と独立して歌われる2曲が加えられたことになる。
 何年か前のゲルネ演奏会で、色々な歌曲にまじり原光が中間地点に少年鼓手が最後というプログラムを見つけたから、マーラーに関しては歌手の意向がはたらいているように思った。
 原光って言葉に馴染みがない。Urlicht・・調べれば「ur:接頭辞「原初の、原形の」意 licht:光」
 事物の根源と考えればよさそうに思う。はじめに光ありき。
 似たような発音で思い出したのはマイスタージンガーの香料商Ulrich Eislingerだけれど、よく見てみるとずいぶんつづりが違う。
 ↓参考資料 ネルソンスの指揮だけれど、ゲルネが素晴らしい(言葉の美しさ)涙出そうです。
 O Röschen rot!                      
Der Mensch liegt in größter Not!          
Der Mensch liegt in größter Pein!          
Je lieber möcht' ich im Himmel sein!        
Da kam ich auf einen breiten Weg;         
da kam ein Engelein und wollt' mich abweisen!  
Ach nein! Ich ließ mich nicht abweisen:      
Ich bin von Gott und will wieder zu Gott!     
Der liebe Gott wird mir ein Lichtchen geben,  
Wird leuchten mir bis in das ewig selig Leben!  
 
 赤い薔薇よ  
 苦悩の中に人はいる
痛みを抱えた人がいる
 もっと私は天国にいたい
広い道を歩いた
 天使が私を追払おうとする
追い返されたくない
私は神のもとから来た 神のもとに帰るのです
神は光を与えてくださり
永遠の命を照らしてくださるだろう

 おかしい訳かもしれませんが、こんな感じかと思います。
 マーラーに対して自分がいかに疎いかというと、youtubeで予習ておきながらも、Urlichtと交響曲とが別物に聴こえていたこと。正確には似たような音楽。まあアルトとバリトンの違いはあるけれど。

 それで肝心の演奏。素晴らしかったと思います。
 ゲルネは出だしでドキリとしましたが、百戦錬磨だから軌道修正も見事。この人やたら身体を動かして歌う。
 前回ペトレンコはピット内だったから指揮姿は初めてで、とにかく歌手を気づかう音楽作り。
 おそらくブレスやリップノイズみたいなもので、今どの程度のコンディションなのか、何を求めているのかを的確に判断処理しているのだろうと感じられた。破綻はない。マーラー的な泥臭さ。それでいてメリハリもある。
 人によってどう思うか様々でしょうが、これだけの演奏に対して仮に文句言うとしたら聴き手の勇み足に思います。
 ‘トランペットが美しく鳴り響く所‘を聴きながら「これ歌えたらかっこいいかな?」でも難しそう。
 とりあえず楽譜を探してみましょう。
 最後の「死んだ鼓手」と「少年鼓手」までくると、さすがに大歌手も疲労のご様子。
 大汗で大丈夫かなと心配になるも、少しくらい苦しそうな表情のほうが陰気な音楽に相応しいと思われた。
 若手の名バリトンだったのも随分前のこと。天狗になることもなく、テクニックに嫌味を感じることもなく、時おり見せる子供のような表情と純粋な歌唱に変化なし。こういう年の重ねかたもあるのだな。
 
 Ich schrei’ mit heller Stimm’
von euch ich Urlaub nimm!
Von euch ich Urlaub nimm!
Gute Nacht! Gute Nacht!    
 おやすみなさい おやすみなさい 
 
 長い沈黙。
 
 ワルキューレ1幕は次回にします。
 ちょいと草臥れました。
 おやすみなさい。