「アッシジの聖フランチェスコ」(演奏会形式/全曲日本初演)11月26日

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 メシアン:歌劇「アッシジの聖フランチェスコ」(演奏会形式/全曲日本初演) 
 11月26日14時開演 サントリーホール
 
天使 エメーケ・バラート(ソプラノ)
聖フランチェスコ ヴァンサン・ル・テクシエ(バリトン
重い皮膚病を患う人 ペーター・ブロンダー(テノール
レオーネ フィリップ・アディス(バリトン
マッセオ エド・ライオン(テノール
エリア/ジャン ノエル・ブリアン(テノール
ベルナルド 妻屋秀和(バス)
シルヴェストロ ジョン・ハオ(バス)
ルフィーノ 畠山茂(バス)
新国立劇場合唱団
びわ湖ホール声楽アンサンブル
合唱指揮 冨平恭平
 指揮 シルヴァン・カンブルラン
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 上記のタイムテーブルでしたが帰り新橋行きバス停でスマホのスイッチいれたら20時過ぎ。
 6時間に及ぶ修行の旅でした。
 衝撃的な演奏。唯一無二、かけがえのない体験をしてしまった。
 valuable、今後これ以上の音楽に出会える可能性は低いと思われ、なげやりな表現だけれど、我が舞台鑑賞人生が終わったような気分であります。
 途中で数回にわたり三半規管が狂ったようなめまいがやってきて、行ったことがないから想像だけれど宇宙酔いに近い症状。たぶん脳の使ったことない細胞が刺激されて「みんなのところ」が見えてしまった感じ。
 「みんなのところ」とは自分で作りあげた架空の世界で、木々と花々にかこまれたユートピア。可愛らしい無垢な動物たちが沢山いる。現在同居している黒猫も一緒にいるけれど、不思議なのは子供の頃に飼っていた子犬もいる。生死の境目のない集合的無意識みたいな理想的幻覚を夢見て、とにかく僕はそこに行くと決めているのです。
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 久しぶりのサントリーホール。1年数ヶ月ぶり。男性用トイレが1階右側にできていたのは便利。
 聴いて思ったのは「こんなに響いたっけ?」慣れるまで少々時間が必要でした。
 正面パイプオルガン下とRBとLBつまり左右の一番高い場所にオンドマルトノ(つまり計3台)が置かれていて、この作品に関してはありそうでないルールだから、カンブルラン日本版と考えた。ちょっと残念だったのは、自分の席だとR側のオンドマルトノがきちんと聴こえてこなくて、期待していたサラウンド効果を獲得できなかったこと。(せっかくS席買ったのに~である。)マーラー規模のオケにP席は100人以上の合唱。ホールに収まりきらない音の洪水。
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 前後しますが、この2週間あまり自宅ではアッシジばかり聴いていて、ジュリアン・グリーンをパラパラ読みかえしモードに入っていった。
 思い出すは30年位前、小澤さんが新日と東京カテドラルで同作品を部分的に演奏していて、若く貧乏だった小生にチケット購入の力はなく、知識も何も持ち合わせていないのに作曲家本人の講演会に出かけたのでした。
 記憶に間違いがなければ日仏学院。そのとき僕は生メシアンを見た。「ああ、メシアンが動いている・・」と思った。白いジャケットの老紳士は聖フランチェスコについて熱く語り始めた。・・・途中から睡魔と闘い・・眠り・・話の半分も理解できないまま講演会は終わった。
 質疑応答「我々日本人はだいたいが先生とは異なる宗教です。作品理解は可能でしょうか?」
 そしたら大先生は顔を赤くしながら「遺憾である。他の宗教を信仰している限り私の作品は理解できない!」やばい、メシアンを怒らせてしまった。アタフタ。今思えば「小澤征爾だってそうじゃねえか!」とか「確かに仏教に所属しているが、ここにいる大半と同じように信仰はしていない。それが日本人だ。」とか「我々は協調性を重んじる。どっかの個人主義とは違う。」等と反撃できただろうけれど、世界の巨匠が心臓麻痺とかなったら大変だから静かに頷き、謙虚を学んだ。そう、あの時私は大人になった。
 部屋のどこかにその時にもらったメシアンのサインがあるはず。売れるかな? 
 作品内容を自分で書くのが大変なので、ご興味のある方は個々にお調べください。
 位置づけはオペラだけれど純粋にカトリックへの深い信仰心。神と共にあるメシアンの見識は、肉眼で確認できないミクロな部分から、まるで天体に放り出されたようなマクロ的な世界まで表現される。
 創作に費やしたエネルギーは大変なものだったと想像します。

 歌手は主人公バリトンのヴァンサン・ル・テクシエの大きく響きわたる声質が素晴らしく、男なのに惚れた。
 場面に応じて、その表情から客観性を的確に判断できる術を獲得していて、それは経験だけではなく生まれ持ったセンスではないだろうか。つまりインテリジェンスなのです。しかも長い作品なのに立派に歌いきった。リートもやっているのでチャンスがあれば聴いてみたい。(武蔵野で聴けるけれど売り切れとのこと。)それで、動画で何かないかなと検索かけてみたら、arte.tvで「ピノッキォ」がありました。何週間も前から変なオペラが配信されていると気がついていましたが、テクシエが出演していたとは驚きでした。近々聴いてみます。
 天使のエメーケ・バラートも印象深い。あちこちの書き込み読むとかなり評価が高くファンを獲得した様子。
 しかし個人的にはもう少し透明感のある歌を求めたくなった。中音域で喉声みたいな雰囲気になるのが気になって、昔のガブリエラ・べニャチコヴァに似ている。それと2幕の扉を叩いたあと問答箇所の歌い方に若干演歌みたいな揺らぎがあって、フランス語だからだと思うけれど、ハバネラやセギディーリア、男を挑発する女に見えた。これは批判でないのはまだ天使に会ったことがないから(笑)勝手な見解だけれど男女のそれではなく美しくも中性的なのではと考えてしまった。
 皮膚病のペーター・ブロンダーも素晴らしかった。ローゲやミーメや大尉‥キャラクター的役柄を得意としているのでは。
 それとどうしても書きたいのは合唱のこと。それなりにきちんとしているとは思ったけれど、後半ダレテしまったのか、例えば「フランソワ♪」のような目立つ箇所で数人がフライング気味に歌いだす。1度や2度じゃない。椅子に座れば草臥れた表情。君たちはお金を貰っているのだからしっかりしろ。
 
 いきなり関係ないが焙煎したばかりの珈琲。
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 最近ポットに入れて休憩時間に飲んでいる。
 2幕と3幕の間に外に出て入口向かいに置かれている椅子に腰掛けて珈琲タイム。その時同じテーブルでPC使っている紳士が知っている人だと気がついた。おそらくむこうは憶えていないだろうけれど、試しに声をかけてみた。その人は音楽評論家のY・Wさんで、その昔捌きたいと思っていたベルリンフィルのチケットを買ってくれたのでした。ちょうどこのホールでの出来事。当時は高名な評論家先生になるとは思いもしなかった。
 それで「いや~お久しぶりです。」なんでも海外でカンブルランのアッシジに関わったとか。
 その後ホールに戻ったらMFさんに遭遇。「Rのオンドマルトノが聞こえない。」と言うと「残念ですね。私の席からはばっちり聞こえます。」・・終演後に読響の制作担当Oさんをご紹介してくださった。その人は多くのゲストから握手を求められ皆がこの企画に感謝していることがわかった。
 アッシジはもう聴くことはできないように思う。


 小鳥の合唱は目を閉じながら鑑賞。花々と天使、それから猫と子犬がじゃれあっている景色が交錯。
 3幕、フランチェスコの死は辛い音楽。目頭が熱くなった。
 どのように生きたら死と和解できるのか永遠の謎だけれど「みんなのところ」の住人曰く「忘れないから大丈夫だよ。」らしい。

 カンブルランは素晴らしい。一番凄い指揮者かもしれない。
 オケも頑張った。間違って会員申し込みしそうになった。

 バイエルンでKナガノが指揮をしたもの。H Nitschのおかしな舞台。この人は変態である。でも時々美しい。
 小澤さんが世界初演。Peter Sellarsでサロネンが指揮したのは92年。
 そしてカンブルランが2004年。シェーファーの天使。