プラド美術館展とペトラ・ラング歌曲の夕べ

 約4ヶ月ぶりの演奏会鑑賞。
 ランチ後にナルコレプシーに襲われるも2時間程度横になったら意識が覚醒。とにかく繭を突き破った蛾が空を舞うように鎌倉から脱出しました。
 せっかくの上野だからと、ブロ友nさんから展覧会の混雑具合を聞いていて、まずは久しぶりの美術館。 
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 最初は東京都美術館でのブリューゲル展にしようと思ったけれど、公園中央方面を見ると桜並木辺りにピンクの提灯が沢山吊り下げられていて、浮かれた酔っ払い&パンダ観光客がうようよ蠢いている。しかも地面が見えないような大群。都美術館はその先だから「これはまずい。」それで西洋美術館のプラド展にしました。
 ※桜が咲くと何故関係者は提灯を吊るすのだろう?
 よくもまあこれだけスペインから持ってきたなという絵画ばかりで、どれも素晴らしいけれど、幾つかの巨大な作品が美術館のキャパに合っていなくてストレスを覚えた。古典絵画の場合は縦の長さ×3離れた位置が最も鑑賞位置に適している。上野では不可能みたい。
 展示は「宗教」「貴族」「静物」等種類別の部屋に別れていて、画家どうしの戦いに(俺の方が上手いだろう的)見えてしまった。例えば特定画家目的の人には面倒かもしれない。しかし遠くからでも特徴的なタッチのベラスケスやルーベンスは誰でも判断できる。ふと思ったのは、周囲から或いは未来の人々が彼らを巨匠と呼んでも時の権力に翻弄されながら目的を果たした一技術者として再現される。
 グレコのキリストを前にして何故か笑いが込み上げてきた。ティツィアーノの裸婦を観察しながらこの女性NGと思った。
 ※昔から手帳片手に全ての作品名と画家をメモっている女性がいるけれど、目的は何なのだろう?
 ※売店で販売されているTシャツは何故俗っぽいのだろう?

 お茶休憩してから東京文化会館小ホール。
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ペトラ・ラングのリサイタル。
 上記参考動画はバイロイト音楽祭ローエングリン」オルトルート役。そしてフランツと共演のブリュンヒルデ役「ジークフリート」ラストシーン。狩猟民族の系譜じゃなければ到達できない圧倒的な歌の力。ラングはワーグナー近辺のオペライメージしかないが、今回は小ホールでドイツリートを歌うという。インタビュー読むと元々歌曲を得意にしているそうでレパートリーは800曲あるそう。チケット代も安く聴かない理由はないと思っていた。
 しかし空いていた。どうせばれないだろうからと写真の場所からセンターに移動して聴いた。
 この時点では期待しかなかったのですが、数々のハプニングに巻き込まれることになるとは。
 プログラムは以下。

 セレナード op.106-1
 われらはさまよい歩いた op.96-2
 愛のまこと op.3-1
 傷ついた私の心 op.59-7
 永遠の愛について op.43-1

 <マーラー> 
 《リュッケルトの詩による5つの歌曲
 私はほのかな香りを吸い込む
 美しさゆえに愛するのなら
 私の歌を覗き見しないで
 真夜中に
 私はこの世に捨てられて

 20分間の休憩。

 <J. マルクス
 森の幸せ
 雨
 日本の雨の歌
 ノクターン
 愛がおまえの心に宿ったなら
 <R. シュトラウス
 響け op.48-3
 あなたは私の心の王冠 op.21-2
 あなたの黒髪を私の頭のうえに広げてください op.19-2
 悲しみへの賛歌 op.15-3
 解き放たれて op.39-4
 懐かしい面影 op.48-1

 歌姫は優しそうな笑顔。そしてブラームス
 声がデカイ!言葉が綺麗。だけれど音程が変?いや音程じゃないな。音量に不必要な揺らぎ。判断が出来なかったがようは肌に合わない。まだ最初だから調子が出ていないのだろうと考えたけれど、何曲歌っても同じような雰囲気なので、こんなもんなのかなと徐々にテンションが下る俺。(あまりにも気になり他の人の書き込みを確認したところ、褒めたり泣いたりだから、僕の耳がおかしい可能性大。)

 3曲目Liebestreu「愛のまこと」これはライニックなる詩人によるもので、以前から言葉の連なりと響きを好ましく感じている。そこのところは演奏会とあまり関係ないのですが、入口で受け取ったプログラム歌詞カード3行目のEin Stein wohl bleibt auf des Meeres Grund,個人的には「しかし私の悲しみはいつも浮かび上がってくる」の翻訳だけれど、「私の悩みはいつも浮かび上がってきちゃうわ。」と訳のわからない日本語が記されていたから吃驚してしまった。この曲は影の世界の音楽なので「きちゃうわ」はいかがなものか。
 “O versenk',o versenk' dein Leid,
mein Kind,in die See,in die tiefe See!”
Ein Stein wohl bleibt auf des Meeres Grund,
mein Leid kommt stets in die Höh'.
 参考資料としてクリスタ・ルートヴィヒ。
 そして大きな事故。書かずにいられない。
 曲間で気がついたのですが、右やや後方から微かに機械的な「キーン、ジー」とノイズが聞こえていた。
 音楽が始まるとわからないけれど、一度気になると取り返しがつかないが人間の脳で本当にいらいらしてしまった。ちょっと嫌な予感がしたのはNHKの収録が入っていて、以前似たようなことがサントリーホールであったから。その後マーラー・リュッケルトで最悪のコンディションになってしまうのですが、ジーのノイズから細かい繊維が足の指に絡み付く幻覚を覚え(笑) まずい・・パニック障害がやってくるかもしれない。
 Ich bin der Welt abhanden gekommen 「私はこの世に忘れられ」 あわてて財布の中から頓服薬を取出し、そのまま飲み込んだ。結果大丈夫だったけれど、テレビも入っていたし、あの場でぶっ倒れていたらどうなっていたのだろう。
 休憩時間に事務局にノイズ苦情を伝える俺。
 珈琲を飲む俺。
 煙草で落ち着きを取り戻した俺。
 雑音は後半も消えなかった。多少は緩和されたけれど脳の機能は簡単には修復できず、右後方からの電磁波は背中を侵食し骨の髄に辿り着いた。
 J. マルクスとR. シュトラウスでラングに対する違和感はほぼ消えた。特にマルクスはFを駆使して豪快に表現しても問題ない作品で、つまりオペラでやっている歌い方がそのまま通用すると思えたから。変な表現だけれどブラームスほど繊細じゃない曲ばかりがチョイスされていた印象。Rシュトラウスのkling!「響け」ではソプラノ楽譜じゃなかったので出だし聴いているこちら側がちょいとずっこけた。
 豪快な表現は素晴らしいけれどデメリットが一つあって、文化会館小ホールでは音が飽和状態。西洋美術館の巨大ベラスケスにさも似たり。
 懐かしい面影 op.48-1聴きながら、何故か「影のない女」バラクの妻を思い出した。
 最後まできても感動できない俺。あちこちからブラボー飛び交う。やっぱりラングはオルトルートなのかな。楽しみであります。

 アンコールはまずRシュトラウスが2曲。
 そして3曲目、まさかモルゲンとか歌うはずないし「献身」あたりかな?と想像していたら、本当に「Richard Srauss・・Zueignung.」と曲紹介。普段静かに努めているが、思わず「Danke!」と叫んでしまった。ラングは笑顔で少し恥ずかしそうな表情を浮かべてピアニストさんに合図。
 Ja, du weiss es, teure Seele,
 dass ich fern von dir mich quaele,
 liebe macht die Herzen Krank・・・ここでピアノが入るのですが、ラングまさかのhabe Dank.とフライング。
 ピアニスト慌てて軌道修正。さすがプロです。
 もしかしたら調子こいてダンケなんて言葉にしちゃったから間違えたのかもしれない。不安になる俺。
 歌い終わったあと何故かあちこちからブラボー。ピアノさんがラングに話しかけている。たぶん「間違えたよ。」歌手は「どうしよう。」と困惑。ベックメッサーとオルトルートが同時に現れたように見えた。
 その後、最後のアンコールと思われるブラームスの「子守歌」 これは良かった。不覚にも涙を流しそうになる俺。
 「おやすみなさい」の後普通はなにもないはず。
 しかし再びラング登場。
 どうしたのかと思ったら「すいません。もう一度歌わせてください。」と確か英語で言葉にして「献身」再び。
高らかに「habe Dank
.!」
 聴衆の誰もがその真心と感謝を受け取りました。

 
 ノイズの原因を知りたい俺。
 ※もし放送機材関係だとしたら、もう収録するのはやめてほしい。
 聴きたい人だけがホールに行けばいいのです。