フランソワ=グザヴィエ・ロト指揮レ・シエクルの演奏会

6月12日(火)にフランソワ=グザヴィエ・ロト指揮レ・シエクルの演奏会(初台のオペラシティ)に出かけてきました。アジアツアーであちこち演奏してきたようですが、日本での公演はこの日だけでチケットも早々に売り切れ、発売日に最安?の5000円が入手できたのはラッキーだった。

なかなか聴くことができない情熱的音楽。冷静でいられないほど驚き、感動した。
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レ・シエクルはロトにより若手の優秀な演奏家を集め2003年に結成された。バロックから現代まで様々なレパートリーを持ち、幅広い時代を網羅した楽器コレクションを有することから、作品に合わせ時代の楽器を使用することをテーマにしている。似たような団体は他にも幾つかあるが、かなり革新的な演奏をすると理解していた。
 プログラムは以下。後から気がついたのは、今回の曲目は全てニジンスキーが関係していて、シャトレ座やシャンゼリゼ劇場等で舞踏として披露されたもの。モントゥー指揮の「春の祭典」初演のお話は有名でストラヴィンスキー関係の本には必ず記されていると思う。しかし個人的にモントゥーの演奏やお客の反応なんかどうでもいいというか昔から興味がなく、写真で見た作曲家とディアギレフ、ピカソコクトーが劇場を抜けだし馬車に乗り「次は何を作ろうか」と語り合った。時代を牽引した彼らに憧れを感じていた。

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実は前から時々告白している心身の状況が思わしくなく、先日前向きに変更した薬があっていないのか、睡眠障害と鬱だけではなく、別の症状にも悩んでいる。(ちらほら医師に入院したら改善するか?に対し、確証はないねとのこと。)それでも舞台鑑賞できているのは、数日前から体調を整えどうにかして開演に間に合うように調整しているから。不思議なのは鑑賞している時間は異常なほど集中力が研ぎ澄まされ、時に妄想と格闘しながらも意識の高揚を獲得。(変な演奏なら途中で帰ればいい。)
 この日一番ピンチだったのは乗り換えで到着した新宿駅の雑踏で目が回り吐気をもようしたこと。地下鉄に乗りたくなくて初台まで歩いた。
 音楽の後には寄り戻しがくるので、刺激的な内容である場合は数日間死者のように過している。仕事?そんなものできるはずがない。しかし来月舞台で喋らなくてはならず、これは何年も前から依頼されているコンサートだから仕方が無い。でも楽しみにしていて、上手く出来るかわからないけれど、微かに必要としてくれる人がいるのは有難いことなのです。
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自宅で作りポットに入れた水だし珈琲をちびちびのみながらロビーに集う人々を眺める。
 やたら人が屯しているのはCD売り場。館内のナレーションで「終演後マエストロのサイン会があります。」の影響かと思いました。

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 席は3F,Lの2列目サイド。さすが安いと思ったのはオケが半分見えず、乗り出さなければマエストロも見えない。しかし乗り出すと右隣の人に迷惑がかかる。ただロトの指揮は地味でかっこいいとも思えないので音だけ聴ければそれでいいと考えた。だいたいロト本人も見られたい欲求を持っていないように感じられるのです。
 そう、我々は音楽を聴くために来ているのです。そこがオペラと違うところ。それで思いだしたのは、先ごろ見られたいモード全開指揮者クルレンティスのチケットが発売された。歴史を塗り替えるレベルの音楽性、稀有な才能をミューズに与えられたかもしれない人。ブロ友Hさんは2公演チケット入手したそうで、絶対凄い演奏になると思うけれど、youtubeでクルレンティス聴いていたらめまいがしてきて「やっぱりやーめた。」
 
 さてこの日の感想。(さらりと書きます。)チューニング時に普段とキーというかヘルツが異なるから不思議な気分になった。最初のドビュッシー「牧神」から鳥肌状態になりました。ここのところ音楽が鳴ると頭の中で情景(幻覚)が浮かぶことが多々ございまして、モノクロ写真で見たニジンスキーの牧神が身体をクネクネさせながら踊る姿が動画のように脳内で再生された。管と弦の美しさ!当時ドビュッシーは振り付けに嫌悪を覚えたそうです。
 「遊戯」真面目に聴いたことのない作品だったけれど素晴らしいと思った。初演当時は「理解不能」と叩かれたそですが、芸術になんでもかんでも意味を持たせることって価値があるのか疑問を持っている。それでも物書きの専門家が驚きの視点で表白する場合、計り知れない感化が伴うことはある。(バーナード・ショートや他尊敬できる人。)つまりここでは一般ブログ等でのオペラ好きの書き込み、またはどうでもいい評論家。彼らの文章を読んでいると頻繁に演出「読み替え」の批判的立場に遭遇する。そうはいっても好き勝手に書けばいい。ただ個人的には近年「読み替え」の理屈自体が古いと感じることが多々ある。意味を持たせないアートが提唱された時期は既に大昔であり、それが舞台演出の場合、何故くどくどと専門家気取りで己を正当化させようとするのか疑問なのです。自分でやってみろ!と言いたい。
 
 「ラ・ヴァルス」で演奏会が終わったようなお客の反応。ホールの関係でしょうが音は大きく響いた。
 「春の祭典」 話題になった録音は予め聴いていたけれど、その予習が意味を持たないと認識した。初演時の総譜は行方不明らしく研究による復元とのことですが、我々の当時の未体験楽器のインパクト以上に、レ・シエクルは今与えられた課題、ライブで心底力を出す団体のよう。恐らくこれまで日本で鳴ったことがないレベルのストラヴィンスキーだったのではないでしょうか。初演の再現を試みる。楽器やピリオドは変化をもたらしているのでしょうが、音源の比較のような作業は否定され、当たり前だけれど、その場に存在しているものだけに価値がある。若々しくみずみずしく情熱的なサウンドが聴けたことが幸せでした。
ふと思ったのは、初演の時はピットの中で演奏されたのかな?バレエだからそうですよね。
アンコールは弦の美しさ。聴いたことがあるけれどなんだっけ?
 途中で「アルルの女」アダージェットと思い出した。長い沈黙。ジーンとした。旧世代だったらファランドールあたりで演者自ら熱狂を促したかもしれません。僕はそうそう世界が嫌い。
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 スタンディングの拍手が長く続きました。
 ブロ友Gさん・・これは聴くべきでしたよ。