ドビュッシー歌劇「ペレアスとメリザンド」 ミンコフスキ指揮OEK

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 素晴らしいドビュッシーでした。
 早く書くべきでしたが、バイロイト音楽祭が始まったことで毎日がラジオ。まだパルジファルは聴いていないけれどワーグナーばかり。なかでも「トリスタン」と「オランダ人」が良い演奏に感じられて繰り返し鳴らしていた。「マイスタージンガー」も良かったけれど、終幕ラストでザックスとワルターがヘロヘロになっていたので消化不良。「ペレアスとメリザンド」はバイロイトとさかしまな世界。
 
 スタニスラス・ドゥ・バルベラック ペレアス(テノール
 キアラ・スケラート メリザンド(ソプラノ)
 アレクサンドル・ドゥハメル ゴロー(バリトン
 ジェローム・ヴァルニエ アルケル(バス)
 シルヴィ・ブルネ=グルッポーソ ジュヌヴィエーヴ(メゾソプラノ
 マエリ・ケレ イニョルド(アキテーヌ声楽アカデミー)
 ジャン=ヴァンサン・ブロ 医師、牧童
 ドビュッシー特別合唱団 合唱
 フィリップ・ベジア 演出
 フローレン・シオー 演出
 クレメンス・ペルノー 衣裳
 ニコラ・デスコトー 照明
 トマス・イスラエル 映像
 8月1日19時~東京オペラシティ・コンサートホール

 ドビュッシー没後100年企画。オーケストラ・アンサンブル金沢創立30周年記念、マルク・ミンコフスキOEK芸術監督就任記念とのこと。
 席は22列目の真ん中。本当はもう少し前で聴きたかったけれど、座ってみればスクリーンが想像していたより大きく上だったので視覚的には具合が良かった。
 オーケストラが舞台の少し奥に配置され手前のスペースで歌手が演じるセミオペラ上演。メリザンドの「髪が長い」シーンではP席スクリーン横で歌うなど、ホールにあわせた工夫がありました。
 金沢公演では更に刺激的な映像効果が表現されたとのこと。

 「ペレアスとメリザンド」は20歳のころに二期会上演を鑑賞しただけで、その後チャンスに恵まれなかった。
 今考えるとユニークなのは日本語上演で(あれどうして聴きにいったんだっけ?)記憶しているのは洞穴のような装置と主役のお2人が素晴らしかったこと。それと休憩時間終了のベルが鳴らず自分を含む多くの人が演奏中に席に移動するありえないハプニングが起こったこと。ちなみに東京文化会館
 その後、メリザンドを歌われていたソプラノさんと同じ舞台に立つ偶然が訪れた。もちろん歌手と司会の関係で3回だか4回。ご自宅にご招待いただきご家族と共に夕食なんてこともありました。それだけで忘れがたい作品なのですが、CDなんかで聴こうと思う気持ちはなく抽象的で曖昧な音楽は常に遠くのほうでゆらゆらしている陽炎のよう。新国が若杉さん時代に上演した記憶がありますが、ちょうど何を聴いても感動しない(新国に厭き始めた。)コンディションと重なっていた。あの頃は人生の第3期読書時代で(第1期は15歳~22歳。第2期は今の仕事を始めた頃。)主にフランスものが多かったように思うけれど、それまで手を出していなかったバタイユユイスマンス、翻訳者の流れからMサド等。それでも大半はこんなもの読んだかな?ストーリーも思い出せないゴミのような在庫だらけの自室は8月に入りやけに暑苦しい。
 似たような感受と申しますか、本や音楽だけではなく、美術に対しての関心が強かったのは学生時代絵を描いていたからで、時期によって趣味は変化するけれど、いつだったかラファエル前派の展覧会を観て、知識として文化の存在を確認していた。画集はこれまた在庫の一つ。

 それで今回思ったのは、物事を一度に学習するなんて僕みたいな凡人には不可能で、意義深い出来事は時空の隙間というか、きっかけは馬鹿馬鹿しいことでも、生き方を変えたい欲求や人との出会いとか、芸術的衝動でも何でもいい、無作為に長期記憶に保存される言葉・視覚・聴覚のトラウマ、時間を掛けて蓄積された複数のPTSDが奇跡的に磁石に吸い寄せられパズルが完成。そして物語の方から語りかけてくる。以前は実態のわからない陽炎だったとしても、気がついたら自分が陽炎の中にいて客席のもう一人の自分を見つめているという分裂した感覚。
 そして、今さら「凄い作品だ」は認識に時間が掛かりすぎで明らかに精神的後遺症だと思うけれど、気づきがあったことが収穫だったのです。実は一幕かニ幕で巨大な時計のモニュメントの幻覚が見え、次にミュンヘンのイングリッシュガーデン横の小川の中を潜水で泳いでいるイメージが訪れた。私は狂ったかもしれない。
 (その日の朝、2年前のプロヴァンス音楽祭でサロネンが指揮をしたペレアスを予習感覚でBGMにしていました。あまり好きな演出でないので音中心の鑑賞。悲しいかな何の役にも立たなかったと思う。休止符前に「俺はサロネンだ~」みたいなしゃくりがあって、そいつがくどい。)
 恐らく過去の断片の蓄積は彫刻に例えるならブロンズを流し込む型の構築で、液状の音楽が流れだし作品を完成させたように思うのです。休憩時間これと似たような体験をしたことがあったな?と缶珈琲飲みながら一生懸命考えていて、数年前に観たSPACのお芝居「室内」だと気がついた。運命に翻弄される悲劇。内省的で神秘的なのは似たような方向・・両方とも原作はメーテルリンク
 この戯曲は物語なのか、実話なのか、今の僕には全てが幻覚に思われる。
 読書ができる体調だったらメーテルリンクを読んでみたい。
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 僕が間違えていなければ、とんでもなく素晴らしい演奏だった。
 長々だらだらの文章なのに音楽について何も書いていないが、ミンコフスキ&OEKは侮れない。
 映像も作品に忠実な印象。例えば水。原作でメリザンドを招く際、城は水によって洗浄される。これはオペラにはないけれど冒頭の映像はそれ。最後も水(羊水ではないかな?)のイメージから胎児が聴衆を見つめる。その目には強い意思が宿っているよう。

 開演前にCD売場の近くにいたらMFさんに遭遇。「今日は楽しみだったんです。」
 休憩時間に音楽家であり評論家(ソプラノとバリトン)M夫妻にご挨拶。
 茶髪にパーマの僕に暫し無言だったけれど「エッー!Hさん。どうしたのそのヘアースタイル。」