ペトレンコのウィーンフィル客演と怒りの絵画

 Kirill Petrenkoがウィーンフィルに客演(12/8と9)しました。
 プログラムは以下。9(日)の演奏が聴けます。
 ただし、ORFは基本配信期間が1週間なので、残された期限は2~3日。興味のある人は急いでください。
 
 Rudi Stephan: Musik für Orchester  
 Richard Strauss: Metamorphosen, Studie für 23 Solostreicher AV 142  
 Brahms:
Symphony No4op.98

 ORF OE1 Radio
 Rudi Stephan: Musik für Orchester  
 Richard Strauss: Metamorphosen, Studie für 23 Solostreicher AV 142  
https://oe1.orf.at/player/20181209/537943 
 Brahms: Symphony No4 op.98
https://oe1.orf.at/player/20181209/537945
 Conductor: Kirill Petrenko
 Wiener Philharmoniker
 9 Dec. 2018 Großen Musikvereinssaal Wien
 
 Twitterでは批判的な評価も幾つかあり、ウィーンフィルとの相性を不安視する言葉もあった。
 それでもたかがラジオ。しかも無料で鑑賞できるのだから聴いてみました。
 そもそも余程酷い演奏じゃなければ批判的な感情は持たないですし、オケとの相性も気にせず「まず聴いてみよう。」と考える。 
 最初のRudi Stephan(ルディ・シュテファン): Musik für Orchester はす非常に暗く、なんとなくロマン派後期と表現主義の中間を彷徨う作品。常に何かに怯えながら逃げているよう。戦争映画によくあるようなゲシュタボが車で林の中を追い回す危機感というより、ミュンヘンとかの繁華街の小さな一室でそこそこ安定した生活が保障されているにも係わらず、人々の会話や遠くから聴こえて来る音楽、また石畳に響く足音が不安材料。時々幻覚にも魘され健康でありたいと願う。親しい家族や友人が優しく話しかけてきても、批判されているように感じ、逆に相手を傷つける。境界性人格障害のよう。こういう人は仲間を徐々に失い孤独の中悲劇的死を迎える。調べてみれば第1次大戦でロシア兵のピストルが頭に直撃し死去。
 僕は音楽を聴いていると色彩や風景を感じることが多く、根拠の無い思いを記しただけです。

 Metamorphosenはマエストロの好きな音楽なのでしょう。感想は端折りますが、ペトレンコで1つ関心していることがあって、昔の灰汁の強い巨匠と異なり音楽だけを提供しようとする力が強いところ。以前から気がつきながら最近になって確信を得たのだけれど、※昔の人は(全員じゃないけれど)カラヤンバーンスタインを聴きに出かけたのだと思う。
 だって「カラヤンを聴きに行ったよ。」・・「それは良かったね。ところで何を演奏したの?」という会話になるように思う。
ベートーヴェンを聴いてきた。」・・「指揮者は?」・・「カラヤンです。」にはならない場合が多かったはず。
 今で言うならティーレマンやクルレンティスなのかもしれない。何故なら嫌いだから(笑)
 ペトレンコに誤解が生じると非常に困るのですが、彼は本気になり作品に没入するが極めて控えめな性格に感じられ、楽譜を通してイメージした世界を自らの感性のもと忠実に再現しているようにしか聴こえないから。
 少なからず、どの音楽でも聴いているときにペトレンコを僕は忘れている。それが脳を覚醒させ色彩や風景や物語が見えてくる。生きているタイミングにこのような指揮者が出現したことに感謝の念を抱く。

 ブラームスも衝撃だった。過去に沢山の名演がある4番だろうけれど、オーケストラをドライブすることなく感情的なイメージを人々に求めようとしない。しかしそこがポイント。完成されたブラームスの先に何があるのだろう。
 人としての様々な面倒臭い現象。バーンスタインが得意だった「愛と感動」の強制。誤解されたヒューマニズム。ポッケに沢山のギャラ。それは自由?時代が変化すれば皆が気がつく、生活の格差問題。精神的な圧迫感。自分を正当化したいだけだった。
 「人は自由という刑に処されている。」古い本の引用だけれど、<人生に必然などない。生きる理由もない。愛など必要ない。実存は本質に先立つ。人は何者でもない。何になりたいのか考え本質を獲得する。価値を決定するのは自分独りである。自由に対して不安を感じる。自由とは生きる理由のないこと。神はなにも決めてくれない。つまり神はいない。> 不思議と涙が出そうになる演奏でした。こういうコンサートに行きたい。マエストロのウィーンPに対しての気づかいは当然あるにしても、そればかり意識し神経を磨り減らすは表現感受と無関心であると考える。ただ魅力的な体験を経験したいだけ。むしろベルリンPの音がインターナショナルに変化しすぎたことが問題。キュッヘルさんの「我々の音楽を邪魔しない指揮者」こそ進化かもしれません。リフレインさせていただくなら、実存は本質に先立つ。
 

 たまたま昨年の忘年会に初参加していただいた、関東圏少し遠方のNさんと連絡とりあっていて、「これは素晴らしい演奏!」と意見が一致した。多くの批判より独りと共感できたことに感謝。


 我家と裏の保護樹林。静かな場所。晩秋の色。
 行政から連絡があり、土砂崩れ対策の工事が始まるという。苦手な騒音に悩まされる。困りました。
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 木々と動物の住処。ぶらぶらしている測量士を睨み付けた。小鳥と対話できなくなる。静かに過せる場所が無くなっていく。
 怒りのあまりまた絵を描いた。3つのカラスウリが輝いて見えたから、記憶に留めたいと思ったのです。
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