ムンク展
2019年もよろしくお願いします。
年末年始はクラシックの音楽番組ばかり観ていました。
昔からクリスマスとお正月の騒々しさが苦手で自宅から殆ど出ていない。
「フェルメール展」は最初からパスと決めていた。というのもやたらテレビで宣伝していて、しかも美術の専門家や学芸員の解説ではなく、絵画に詳しくなさそうなタレントさんがゲストだったりするから嫌になってしまった。
展覧会は画家の人生をそのまま投影しているかのように、若い時代から晩年に向けて順番に展示されていた。でもムンクに関してはハプニングに満ちた事件や、リトグラフ等の版画が多いこと、自分の写真を撮影(コダック使用)、精神病、傑作は限られた時期に集約されている等、おおまかな知識があったので、作品だけ観ていればいい気分で精神的にも楽でした。しかし何の感慨もないまま館内をすたすた歩き続けてしまった。習作に近い絵画が多かったことも関係していたのか、単純に自分が感動できない調子なのかは不明。唯一「メランコリー」の油彩完成形の前でしばらく立ち止まり。そのまま憂鬱と例えるなら社会的な機能低下への無意識な共感だったのか?どことなく由比ガ浜に似ているとか、別段深く考えているわけではなく、どこか身近で安堵を覚えた。
「叫び」は比較的広い部屋に飾られていて、そこだけ銀行のディスペンサーに並ぶような仕組みになっていた。
朝からアルバイトしているのか、疲れた表情の女性が「ここの通路は立ち止らないでください。」を何度も繰り返しさっさと歩けと手を振りながら誘導する。この瞬間・・僕はキレテしまった。「うるさい!」・・まずい!今度は躁状態かなと反省したが、その人が今度は僕の耳元で同じ言葉を発した。・・だからもう一度「うるさい。」(叫んじゃいないが)それでも表情を変えない案内係。それに僕は立ち止ってはいない。失礼である。帰りに責任者らしき人を捕まえてクレームを入れた。「絵画を理解しない人を雇ってはいけない。あの対応で僕の1日は憂鬱で悲しみに満ちたものになった。」
ムンクはあるとき精神科医師の治療を受けた。治療は上手くいったのだと思う。何故ならそれ以降の作品には画家特有のオーラが無くなり描き方が急激に雑になることがそれを証明している。安定した心理と引き換えに長時間キャンバスと対峙するエネルギーが減少した。そしてテーマも曖昧に変化。これは幸せな変化だったのか、逆なのか判断できない。ただ穏やかな日常を獲得した。しかし物事に無頓着になったように感じる。ふとフロイトとマーラーの関係を思い出した。でもこれはまた別の話。
夜の上野公園は寒かった。精養軒まで歩き夕食は伝統のハヤシライス。
極度の疲労を抱え帰宅した。
蕎麦は大好きな鴨せいろ。
調子が良く自宅まで歩いて帰りました。