マーラー交響曲第10番嬰ヘ長調 デリック・クックよる補作

 Mahler:Symphony Nº10 in F sharp minor(1910).(Cooke ,1976 version).
I.Andante-Adagio
II.Scherzo
III.Purgatorio
IV.Scherzo
V.Finale
South West German Radio Symphony Orchestra,Baden-Baden.
Michael Gielen.

 youtubeで時間を掛けて、Mギーレン指揮(SWR)ブルックナーマーラー交響曲を全て聴き、色々と想像をめぐらせておりました。
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 マーラーの10番に関してはAdagioだけで充分と考えていたけれど、この指揮者がわざわざクック版を録音しているのには何か意味があるのかなと思い、約80分間の音楽を初めて鑑賞してみた。
 最近まで苦手というか、情報量の多さに異常に脳が活性化されてしまい≪満員電車で数時間我慢しているような感じ≫を作曲家にいだいて、まだ初心者なのです。ちなみに「嘆きの歌」も聴いたことない。
 情報量の多さは仕事が忙しすぎて頭の中で処理仕切れない状況に似ていて、酸素不足のイライラから加呼吸に陥る場合がある。フリーに生きてきた理由もこの辺りにありそう。ちなみに来週は精神科でカウンセリングを受けなくてはならない。
 今考えると欧州旅行に行った自分が考えられないが、つい数年前まで「のぞみ」「ひかり」に乗ることができずに「こだま」に決めていたほど。「もっと空気を。」
 とは言いつつ3年前、ウィーンから帰国するアエロフロートの中で煩いアメリカ人と大喧嘩になりロシア人に制止させられた経験がある。あの時は久しぶりに殺意を覚えた。
 そんな現実を踏まえ、私はどうやらギーレンに救われたような気がしてならない。
 初めて聴くクック版はややこしいリズムのScherzo楽章が2度あって、自分がどこか同じ場所をぐるぐる回っていて目的地に辿り着けないような不安を想起させ、健全とは言えない音楽。
 例えば、熱を出して深夜魘されている雰囲気にさも似たり。吐気と下痢を繰り返しながら「健康になりたい。」・・ところが徐々に全身が汗ばんできて、体温計を確認すれば39℃から37.6℃。「ああ治る。」でも立ち上がると、まだふらつく感じ。気分転換に寒い外に出て煙草を咥え「不味い。でも冷たい空気が心地良い。」
 気がつけば不覚にもクックに魅了されている小生。
 衝撃的なのはIV.Scherzo~V.Finaleの中間地点で唐突に鳴らされる太鼓のFなのですが、スコアが無いから(買うつもりも無いが)わからないけれど、最初の太鼓から終楽章なのでしょうか? 知識人よ誰か教えてください。
 その後再び太鼓が繰り返され、木管と弦による美しい旋律がやってくるが、ラッパのファンファーレ?さらなる太鼓で夢が打ち砕かれる。救いようの無い現実。ところがいきなりコメディア・デラルテを思い出させるようなプルチネルラ的メロディー。滑稽なピエロの踊りみたい。でも直ぐにこの世のものとは思えない大いなる存在に導かれる安らぎ(どこかで聴いたような旋律。)不確かな感情の起伏。循環呼吸のようなラッパ。ああこれはAdagioの再現部かもしれない。
 いつからか再び美しい世界に満たされて行く。病気であれ事故であれ戦争でも「人はこのように死ぬるのかな?だとしたらそう悪いことでもなさそう。」
 静かに音楽が静止。「ジーン。」

 ふと我に返る。
 これって名曲かもしれない。
 マーラー最高の好みが10番クック版だとしたら、お好きな人には変に思われるかもしれませんが、そういうこと。