本の処分

 本を読むことが苦手になってから数年経過。
 頁を捲ると象形文字のように感じられることがある。
 ブロ友との飲み会でCDを配り続け(たぶん計数百枚)今考えればDユニオンに売りにいったらそこそこの金額になったように思うけれど、貧困ながらせこい生き方はしていないから今後も似たような行動を続けるだろう。(しかしながら必要の無いCDもついに減りつつある。)
 でも一度聴いた録音は誰かの手にわたっても記憶しているもんで「返してほしい。」という感覚にはならない。それが本でも同じなのだと今日学んだ。
 基本的に人生のテーマは<断捨離>
 物が減れば精神の調和に繋がる。或いはラディゲじゃないけれど死ぬ準備。ラディゲに関してはコクトーや三島さんが都合の良いような美文を残しているけれど、日本でいう高校時代に「肉体の悪魔」を書いた早熟でひ弱な男が物を片付けたのは「他人に見られたくない変なものを所有していた。その後たまたま死んだ。」ではないかと勝手に思っている。
 鯨は墓場にむかい、猫は姿を消し、関係ないが駱駝の目は悲しい。

 とにかく本を整理したいと考えて、昔から馴染みの古書店主に来ていただき処分した。最初は全てを持っていってもらうつもりでしたが、僕はもう暫く生きるのか?残しておきたい書物がわりとあって、完全に部屋が片付いたわけではない。
 それでも600~700冊分部屋が軽くなったのだから気分が良い。つまり<断捨離>とは趣が異なりCD同様に読んだものは記憶しているわけで、当たり前だけれど、脳はそのままで、部屋を他人に片付けてもらい、お金をもらう・・メリットしかないと思えた。
 ということで「さようなら。本好きの人に購入していただきますように。」
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