ジョルジュ・リゲティ作曲 歌劇「ル・グラン・マカーブル」

 一昨日なにげなくyoutubeを聴いていたら、ジョルジュ・リゲティ作曲 歌劇「ル・グラン・マカーブル」1998年にサロネンが指揮をしている音源に遭遇した。
 主役?酔っ払いのピート役がグラハム・クラークだったこともあり、そのまま全曲鑑賞してしまいました。僕には初めての作品で、ベルギーのミシェル・ド・ゲルデロードの戯曲をテーマにリゲティが作曲した程度の知識しかなかった。とにかく衝撃的な音楽。
 オペラの筋書きは上記で確認することができます。
 自分でストーリーを説明するのはわりと得意なのですが、些か疲労状態にあるのでお許しください。
 その昔作曲家来日で公演が行われた記憶がありますが、当時は仕事モードバリバリ時代だったことからチケット購入の隙間も無かったと思い出す。
 気狂いじみた内容ですが、美しい作品でアルバン・ベルクのオペラから感じるような等身大の登場人物が聴き手と同じ目線で描かれていて、まるで自分が作品の一部になったような気持ちにさせてくれる。
 youtubeに色々な音源があることから、例えばバイロイトワーグナー等はここ50年程度の録音をあらかた聴くことができましたが、率直な印象として音楽的に進化しているのかなんだか理解できないでいる。個人的には生きている人の上演が優先されるのは身近な存在であることと時代背景からくる音楽性のセンスと思う。(クナッパーツブッシュでヴィントガッセンが素晴らしくとも、見たこともないからね。)
 そして神話的な背景からの音楽がどうやら上から目線に感じられてきて、自らの想像力の欠落かもしれないけれど、最近はワーグナーがしんどい。
 グラハム・クラークがミーメを歌っていた時期、そのお仕舞いの頃なのですが、語尾に喉声の乱れが見え隠れしはじめ(実演で聴いたときもそうだった。)求めに応じる性格が歌手人生を没落させたとまでは考えたくないけれど、バレンボイムあたりに酷使されたのではと疑いたくなる。小澤塾にも来ていたっけ。
 ル・グラン・マカーブルにもその傾向はあるが、気にならずに表現できているのは、もしかしたらサロネンだからではないかな?と感じられてきた。
 この翌日サロネン&フィルハーモニア発売でしたが、来日公演は毎回似たような作品ばかりでうんざりしている。最初から売れないリゲティなんか期待していないけれど。それで少し考えて1月28日の「シベリウス序曲、ショスタコーヴィッチのバイオリン協奏曲、火の鳥」を予約してみました。理由はショスタコーヴィッチにあってあまり聴くチャンスが無いように感じられたから。しかし何の苦労も無しに最安席が買えた。(不思議!)もしかしたらガラガラだったりして。

 ついでにサロネンリゲティをもう一つ。「レクイエム」
 Performed by Barbara Hannigan (soprano), Virpi Räisänen-Midth (mezzo-soprano), Philharmonique de Radio France, Choeur de Radio France, conducted by Esa-Pekka Salonen. なかなか凄いキャスト。
 7月にリゲティ「レクイエム」が東京で上演されるとMFさん情報。指揮はノット。
 たぶん買うような気分でございます。