湿気
いつものように深夜から朝にかけて頭がさえてくる。
それでも次のお仕事まで数日休みが続くのだから、何処かのタイミングで調整すればいいわけで、身体の求めるままに濃い珈琲を飲む。
自宅は山の斜面真下にあるため、湿度が高く除湿機を点けたままにしておくと一晩でかなり水が溜まる。
特にこの時期は驚くほどの量。
時々友人等から誤解されるのだが、私は湿気を毛嫌いせず寧ろ好ましく感じていて、何の為の除湿かは本と衣類とオーディオをカビから保護することのみを目的とし、身体に良いわけないけれど寝室では基本スイッチを切り床に入る。
だからホテルなんかに宿泊すると乾燥が気になり一睡もできない場合がある。
咽を痛めるから、なんて表面上の理由以上に神経が磨耗してしまう恐怖を感じる。
砂漠に投げ出され干からびるのを待つしかない蛞蝓みたいなもの。 蛞蝓(なめくじ)不覚にも書けない字。
近所に文学館がある。
旧前田公爵の見事な洋館で、広い庭園があり遥か洋上に大島を望む爽やかな風が靡く、三島が「春の雪」をこの建造物から着想したようで、私なんかは読んでみても作品イメージと建物が一緒にならないのですが、館内に文士の地図があって如何に多くの詩人やら小説家が鎌倉に住んでいたかがわかる。
以前は東京に近いリゾート地だったので、世間から隔絶されたような文化的なこの地を求めて物書きが集まったのだろうと考えていたが、こう湿度が高いと何か因果関係があったのではという気がしてならない。
フォークナーやGマルケスなんかの乾燥埃地帯文学はかなり苦手で、少し思い出しただけで息苦しくなる。
否定しているのではなく個人的生理現象だからお許しいただきたい。
「もっと湿気を」ニーチェも言葉にしていないだろうな。
何をもって幸せとするか、曖昧な幸福を考えるのは難しいけれども不幸の定義を幾つか出し、そいつを避けて生活すれば満足が得られるのではないだろうか。
既に外は明るく小雨の中、美しき小鳥のさえずりがステレオ音のように響き始めた。
それ以外何も聞こえない。
山のあちらこちら薄紫色なのは野生の藤。
見ごろである。