ノリントンの演奏会

 サー・ロジャー・ノリントン指揮・シュトゥットガルト放送交響楽団を聴いてきました。
 ハイドン交響曲1番、ブラームスのバイオリン協奏曲ソリストはパク・へユン、ドヴォルザーク交響曲7番、みなとみらいホール。
 とても楽しみにしていた演奏会で、仕事もプライベートも全て片付けて、何も余計な事を考えなくても大丈夫な状態にし、かつ時間にゆとりを持たせ、エスプレッソで脳を覚醒させてから会場に入りました。
 ドヴォルザークは馴染みの薄い曲だったので、予めレコードを(コシュラー指揮チェコフィル)何度も聴き全体を正確に頭に叩き込む気合の入れ方。
 自分でも可笑しい位の集中力で開演を迎えました。
 最初のハイドンのピリオド音を聴いた瞬間に来てよかったと、そして堅実なサウンドと巨匠ノリントンの技に聴き手は全信頼を寄せ、いつもコンサートに来るたびにホルン等がはずすのではないかなんて妙な想念と無縁な、音楽そのものに向かい合える安心感に脱帽。
 伝統、なんて簡単な言葉で素人が伝え解決させたら大変失礼な話で、万年筆や鉛筆だって靴や洋服や食品や電化製品にいたるまで緻密な職人文化が開花しているドイツだからこそ、芸術の世界でも同じこと、けっして誰かが勝手に主張したりしない、アンサンブルこそ音楽でありハーモニーこそ生きる糧と伝えてきてくれてるよう。
 かと言って古いタイプの演奏ではなく、歴史と現代感覚のバランスが保たれていて退廃の微塵も感じられず、寧ろサウンドは新しい。
 そのあたりはノリントンの指導方針の賜物。
 知的で論理的解釈のもと数々の課題を解決させてきた実績に、誰もが信頼し尊敬しているのでしょう。
 そしてノリントンは最後の瞬間までステージ上の立ち居振る舞いが紳士だった。
 さすがサーである。
 ドヴォルザーク7番はいつまでも忘れられない体験のひとつになると思いました。
 入口で配っていたパンフによると、ブラームス3番に触発されて作曲と記されている。
 なるほどロマン主義的な主題を駆使した見事な構成力で、私みたいに単純な性格の人間が実演体験すると、直に一途な恋愛感情のように夢中になり、音楽の渦に呑まれ冷静でいられなくなってしまう。
 それでも民族主義的な色合いの方が強いのは故郷に向けられた畏敬の念であり、個人的なイメージですが、第一楽章ゆったりと豊穣な流れのドナウを俯瞰で眺めているような(第一主題)、木管の長閑な農場風景(第二主題)、第二楽章では雄大な自然を、第三楽章は舞踏、実りに向けられた感謝があり、生命誕生の喜びがあり、時には死の舞踏にも巻き込まれる。
 そして終楽章では民族の苦悩と歓喜でしょうか。
 ノリントンの指揮は情景描写を重んじているようで、訪れたことは無いものの美しきボヘミアの風景が堪能できた印象です。
 アンコールはローエングリン三幕の前奏曲
 ワグナー好きが改めて感じるのも変ですが、残酷なくらいの音の大きさに驚く。
 皆スタンディングでマエストロに感謝。
  それから前半に登場した韓国のバイオリン奏者ヘユン嬢17歳だそうで、今後に期待。
 
 最後に報告したいことが一つ。
 会場は空席だらけ。
 こんなに空いていたコンサートは初めてで、3割くらいの入りでしょうか。
 もったいない現実です。
 そんなわけで、1階のセンターに移動して聴きました。
 
 しかし何で売れなかったのかな?
 因みに先日の尾高さんN響は満席だったみたいで、インバル都響も売り切れだそうで・・・「なんでだ!おかしい!」と私は思います。
 
 往年の名歌手シミオナートが亡くなりました。
 99歳だったそうです。
 合掌。