観光地と昔見かけた文士
武家の都なのだから掘れば色々と出てくるのだろうが、予てから気になっているのは、調査が終わった後はどうするのだろうということ。
金銀財宝でもあったなら話題になるかもしれないけれど、仏像や刀では、また埋める筈もなくどこだか博物館にでも吸収されるのだろうか。
でも物ではなくて屋敷跡だったなら、仕方ない調べてから埋めて新しい建築になるのだろうか。
地下にはさぞかしお宝が眠っているのだろうが、遥か古に想いをはせる為に当地を訪れる人もそういないみたい。
あまり意識したことも無かったのですが、鎌倉には妙な表現だけれど、都心から気軽に行ける観光地としての感覚以上に、人が集まりやすい何か別の条件があるのかもしれない。
神社仏閣と海と山が条件の源か。
八幡様の境内に近代美術館もあるけれど、この美術館は極めて居心地が良い。
つまり企画が地味でいつも空いている。
映画館が一つあったみたいだけれど今は昔。
コンサートホールが松竹撮影所跡地にあるけれど、大したコンサートも無いし大船駅が近いから古都の印象とは少し異なる。
駅前の雑踏で自転車をを止めて私は考えた。
みんな何しに来るのだろう。
観光に来たであろう人に「こんなところに自転車で来るな」みたいな表情で睨まれた。
大きな笑い声のご婦人方、携帯電話で話す人、修学旅行の団体、カップル、浮浪者。
急に不安を感じた。
そして私は何故此処にいるのだろうと思った。
以前はバス道路沿いに住んでいたから空気が悪くてうるさくて、壁が薄くて寒くって隣人の音が気になったからは、表向きの理由だったかもしれない。
幼い頃の微かな記憶、母親と長谷駅の近くを歩いていたら小柄な白髪の老人を見た。
「あの人は世界一の本を書いた人。大きくなったらあの人の本が読めたらいいね。」と丁寧に教えられた。
国境のトンネルを抜けると・・
私はあの時きっとトンネルの手前にいた。
大人になり自分がトンネルを抜けたのか、或いはまだ途中なのかまだ判らない。
私は亡き母との約束を果すために白髪の紳士の書物を買い揃え読破した。
もしかしたら約束なんか忘れていたかもしれない。
本との出会いは単なる偶然だった気もする。