眼鏡

 最近小さな字が読みづらいことがあり老眼の兆候かなと嫌な気持ち。
 パソコンのやりすぎか、本の読みすぎか、空を見ると目が楽。
 そんなわけで飽くまで遊び感覚100円ショップでその種類の眼鏡を買ってみた。
 何ということだ。
 良く見える。
 私は視力が1・5くらいはあるので老眼になりやすいと周囲から言われ続けてきたけれど、知らず知らずのうちに眼球の衰えが進んでいたみたいである。
 だから今も老眼鏡しながら書き始めた。
 外は雨、仕事もなし、このままでは鬱になりそうで、シューマンのピアノ五重奏作品44のCDゲヴァントハウス四重奏団ピアノはペーター・レーゼルを部屋に充満させる。
 第一楽章、痛々しく寂しい音楽で益々心の傷口が広がりそう。こんなに悲しい音楽だったかな。曲変えようかな。異常に喉が渇く。
 行進曲調の第二楽章になり漸く気持ちが楽になり始め、傘も差さずに雨の中近所の自販機まで走りスポーツドリンクを買い、また走って自宅に戻る。
 第三楽章スケルツォ、食道を冷たいイオン水が一気に流れ体内に吸収されていく。美味い。
 第四楽章、窓に雨が吹き付ける暫くは止みそうにない。突然携帯電話のコール音、来月の仕事依頼、折しもリズミカルなエンディングで話す口調も快活になった。「随分元気ですね」なんて言われた。シューマンを聴いているのだから神経の起伏は仕方ない。
 CDはそのままピアノ四重奏作品47に突入し、書くのを休憩。こんなに素晴らしい曲を前にして同時に何かできるはずもない。
 シューマンは一つの曲の中に色々な感情が溶け込んでいるから、楽しくなったり悲しくなったり、今年の五月は暑かったり寒かったり晴天もあれば今日みたいな日あるから、ちょうどいい選曲だった。
 偶にシューマンには堪らないくらい共感する時が訪れる。
 今は歌の気分ではありませんが「詩人の恋」が好きでして、この曲は歌手によってまるで違って聞こえてきて、何を理想としたらいいのか判らなくなるくらいで困るのだけれど、わざわざ楽譜を見ながらディスクを掛け、詩と音楽の奇跡的な融合に酔いしれるのです。
 何年も前ですがドイツ旅行しケルン大聖堂のマリアに会いに行った。
 これが詩人の恋のマリアなんだなと,感慨深く思う。
 昨夜の夢の中にテノールのルネ・コロが出てきまして「肩が痛いんだよ」と言っていました。
 元気が無かった。
 ただの夢の話。