ケンプの写真・「フルートとオーボエ」清岡卓行

 平日の昼間は二階にお住まいの方は仕事に出かけるので音量を気にしないで音楽が聴ける。
 ブラームスのピアノ協奏曲1番、ケンプとコンヴィチュニー指揮ドレスデン国立管弦楽団、50年代のモノラル録音。数在る1番の中でもお気に入りの一枚。
 ケンプもオケも情熱的、タイムマシンがあるのならその場に行ってみたいくらいの内容で、ケンプってこんなに激しかったかな、オケも旧東ドイツの骨太なサウンドで聴きごたえ充分、それでいて上品で繊細なのだから、生で聴けたら私は「感動に咽び泣く」だろう。吉田秀和先生のパクリ。
 以前仕事で知り合った年配の写真家さんから、この人の経歴は凄くてエリザベス女王を撮影したりフジモリ元大統領に呼ばれペルーまで仕事に行かれたり、
 「これあげる。音楽好きな人がもっていたほうがいい」と、なんとケンプのプライヴェート写真をくださった。
 来日した折に川奈ホテルのスイートルームで撮影されたそうで、老大家はゆったりとソファーに腰を下ろし黄昏のガラス窓に反射した横顔が静かな表情を湛えている。
 その時ケンプは撮影のお礼にと即興で演奏されたそうで、夢見たいなたった一人のための演奏会だったのだから、羨ましさを通り越して、もし自分なら気絶していたかもしれないと想像した。
 ケンプやバックハウスを聴いていると、私のパートナーは
 「男の人のほうがロマンティックなんだよ」と言う。
 その辺りの感覚はあまり考えたことが無いのだけれど、急に「アカシヤの大連」で有名な清岡卓行の書いた「フルートとオーボエ」という小説を思い出した。
 モーツァルトの表題の二つの協奏曲、実は同じ曲だけれど、主人公がフルートの表現に若き作曲家が美しき女性の肉体的な魅力と暗合すると感じている。
 ところがオーボエの方を聴いた在りし日の妻は「この方が、ずっといい」と言う。
 つまり妻は男性の心の魅力をどのように感じていたのかと記憶をめぐらせる。 
 そしてオーボエには男性の内向的な憂鬱、どこか非日常の微かな憧れが含まれていると感じとり、職業の形而上的悲しみだったのではないかと考える。
 音楽に私はいつも慰められている気がしているが、実際は日常の喪失を繰り返しながら精神と叙情の奇跡的な結合を夢見て、無力にも懸命に蘇生を試みているだけなのかもしれない。
 また、これからケンプ、その後はシェレンベルガーオーボエを聴いてみます。