純粋な響き

 ウィーンフィルのチケットが発売され、どうにかミューザ川崎サロネン指揮マーラー9番を手に入れました。
 希望としてはサントリーホールでのブルックナーが一番聴きたいけれど、安い席が売り切れてしまいオークションでどうにかしたいと思っています。
 ちなみに35000円の席ならまだ買えるけれど、高いな。
 それにしてもネルソンス指揮の「新世界から」が最も売れているというのだから、「何故だ。」と純粋に驚いています。
 ウィーンフィルの演奏会はクラシックに興味のない人も出かけるのかな?
 だったら新世界でもおかしくないし、まして若手ネルソンスでも売れるのでしょう。
 そんなことから、川崎のマーラーがフライング拍手で汚されたらどうしようと今から不安を感じ、もしそうなったら、きっと悲しいし現実を呪うだろうし、私は暴れてやる。
 しかし最近身体の調子が変で昼間は横になってばかり、まるで吐血をする昔の詩人みたいに顔色が悪く、本を読んだり音楽を聴く気分にもなれないけれど、困ったことに深夜になるとメラメラと意識が高揚し、私は珈琲を飲みながらブルックナーに浸る。
 あまり馴染みの無い6番なんかヘッドホンでじっくり鑑賞すると、これまで無関心に接していたことが作曲家に申しわけない気持ちになるくらい凄いなと感じる。
 たまたま、カイルベルト指揮ベルリンフィルのCD。
 かっこいい5番7番という傑作の間で地味な存在だけれど、恐らくとても純粋清らかな音楽で、私がこれまでの人生でその欠片すら感じたことのない独特なもの。
 いつかこんな世界に出会えるのだろうかと夢想する。
 しかしすぐさま可能性は低いだろうなと私は消極的に寝返りをうつ。
 明確で几帳面で流行とは無縁な目的意識。
 だいたい人は目的を達成させたいと考え、夢や希望を求めたがるけれど大半は物欲だったり名誉欲の塊、所詮社会に導き出された悪徳な論理であり、悲しいことに我々は生まれながらに資本主義のシステムに組み込まれている。
 それでも、そうしなければ生きていけない。
 ブルックナーの目的意識は天空からふりそそぐ。
 この安心感は形容しきれない。
 このような美しさに今まで気がつかなかったとは、私は真に愚かである。