教会の鐘

 伊豆長岡にある温泉に出かけました。
 遊びに行ったというより目的は肩腰の治療の為、宿も湯治場みたいな雰囲気で年配の人しかいない。
 最近できたのかな、新しい感じの岩盤浴で水分補給しながら無心で毒素を出し、ミストサウナで呼吸を確かめ、汗を流し温泉につかる。
 時間の間隔を空けて、一日に三回同じ行程を繰り返し、食後は死者のように眠った。
 建物の裏は崖のような山があり蝉の大合唱。
 突然斜面を獣が横ぎった。
 思わず「タヌキだ!」生まれて初めて野生の狸を見た。
 翌日此処まできたのだからと、御津浜から沼津に出て旧御用邸を見学し、漁港近くでお刺身を食べた。
 幼少時の亡母がこの辺り住所なら沼津市下香貫に住んでいた。
 祖父は宮内庁勤務で、多少は裕福でかなりの豪邸だったらしく、戦争時情勢悪化を心配し疎開のような気持ちで当地を選んだ。
 その家はもう存在しないのだから、どこでどんなかは想像するしかない。
 千本松原まで足を伸ばしユーターンし香貫山を眺めいつの日か登りたいと考え私はまた御用邸近くまできた、あまりにも見事な夏に目を細め、そういえば原子爆弾が落とされる候補地のひとつに沼津があがっていたと母に聞いたことを思い出した。
 沼津だったなら、恐らく私はいない。
 国道沿いに「あずみ野」という喫茶店を見つけた。
 バロック音楽を聴きながら・・ガラード,タンノイと高級オーディオの名前が書いてあるもんだから潜入。
 確かに凄いシステムが並びヘンデルが流れていた。
 髪の長い爆発したみたいな頭のマスターがいて、メニューにモーツァルトブレンドベートーヴェン・バッハなんて書いてあり、仕方ないので「ベートーヴェンブレンドください。」「はい、ベートーヴェンですね。」
 やり取りがなんたってベートーヴェンなのだから必死に笑うのを我慢しながらひたすら待つ。
 横目でカウンターのマスターを見るとネルドリップで丁寧に作業している。
 出てきた珈琲は紅茶のように透明で、「なんだこれは」と、嫌な予感がしたが、驚いたことに「美味しい。」
 マスターと話し始めたら直にクラシック好きとばれてしまい、「バッハのチェロ無伴奏にしましょう。」から始まり最初がフル二エ、その次がカザルス。
 手に入れるのに一年以上も探し続けたらしい東独奏者名前忘れたけれどハイドンピアノソナタ
 「この演奏は技術が気にならない、しかも自然で音色が美しい。日本ならワビサビの世界です。」と鼻の穴を大きくする。
 それから「チェンバロを聴いてください。バッハ、レオンハルトです。」
 そして「次はメンゲルベルクベートーヴェンです。7番にしましょう。アムステルダム・コンセルトへボウです。」
 静かに流れるバロックの店のはずなのに、すでに大音量のベートーヴェンになりコンサート会場にいる時のようにコントラバスが唸りをあげる。
 お客は私だけではなくスピーカー近くに女性がいるのだから不安になる。
 カウンターの中にいたマスターは私の隣に椅子を出し足を組み座り片手に珈琲カップを持つ。
 このあたりで私はくたびれていたのだが、急に魔笛は誰のをお持ちですか?」と質問され、「サヴァリッシュを持っています。」と返事をしたら、「私はスイットナーが好きですから、スイットナー聴きましょう。いいですね。」と凄い人である。
 「52年のカラヤン盤も良いのですが、あの人でいいのはあの時代だけです。」
 「52年が良いのは、どうしてですか?」
 「あの時代は他に巨匠が沢山生きていましたから、カラヤンも音楽に真剣だったのでしょう。しかしそのあとは全部BGMみたいな表現で音楽ではない。」
 この人は五味康祐みたいだなと思う。
 最後に聴かされた(聴いた)のは「教会の鐘のレコード」
 これは感動した。
 以前ドイツ貧乏旅行した大晦日ケルン大聖堂を思い出し、このレコード聴きながらユイスマンスの「大伽藍」を読みたいと思った。
 帰り際にマスターは、「可能なかぎりアナログを聴きましょう。アナログは心の問いかけに答えてくれます。レコードのことで質問がありましたら何時でも電話ください。」と語ってくれた。
 音楽が目的で看板見ただけで来るお客も珍しかったのかな。
 ご近所なら時々聴けるのにな。
 因みにアンプは真空管の世界では神様のような安斎勝太郎先生作だそうで、機械に弱い私は存じ上げませんが、雑誌「無線と実験」購読されている人には有名らしい。
 スピーカーは英国タンノイのオートグラフ、レコードプレーヤーはガラード、デッカのカートリッジ。
 音は存在感があり、無伴奏なんか私は同じレコード持っているのに自宅はただ綺麗な音、此処のは目の前でカザルスが演奏しているように鳴る。
 インターに向かう中、スカスカした音のカーステレオのスイッチを切った。
 夜遅く帰宅し私は底の見えないくらい濃い珈琲を入れた。