ティーレマンのベートーヴェン

 「芸術劇場」で、ティーレマン指揮ウィーンフィルベートーヴェン交響曲5番、6番、4番を放映するというので楽しみにしていました。
 それで、今聴き終わりましたが、結論から言うとアゴーギクとても気になり非常にくたびれました。
 私は、この人苦手かもしれないなぁと思った。
 それでも保守的で耳の肥えたウィーンの聴衆が熱狂していたのだから、現場にいたら感動していたのかな?
 多少のテンポの変化ならいいのだけれど、とにかく動かしすぎるもんだから曲に入り込めないままの悪しき精神状態が続き、我ながら3曲もテレビの前でよく座っていられたと感心する。
 私はベートーヴェンが好きだから、動画に向かい指揮をしたくなるくらい夢見る純粋な青年なのだ。
 彼は極東鎌倉に住む純粋な青年の心を踏み躙った。
 バイロイトミュンヘンでの活躍で証明されているように最も人気のある指揮者なのでしょうが、この前の日本公演に高いお金出して行かなくてよかったとまで思いました。
 感情だけで書き出すと文章は崩壊するから、冷静知的なります。
 まず、颯爽と現れたマエストロは「5番」の出だしで拍手が鳴り止まないうちに「運命の扉」を叩きました。
 その辺りのやり方はクライバーの「薔薇」や「こうもり」を思い出したりするが、クライバーは表情も歩く姿も音楽的かっこよさがあるのに対し、ティーレマンは何処かが違うといいますか、つまり、その、下手すると音楽と関係ない無駄な動きに見えて、かっこ悪い。
 駄目です、今日は知的になるのやめました。
 「薔薇」は貴族的な快楽と具体的に一部書くなら、ゾフィーの主人を迎えるワクワクした気持ち、客人を待たず自ら扉を開けたくなる女心。
 「こうもり」なら、楽しい宴が待っている浮気な酒好きな男心?さあ扉を開けよう!美女よ私を逮捕してくれ!
 しかし「運命」だと、何か怖い。
 「田園」でも落ち着かない、ゆっくり散策できない、田舎道で誰かに追われている感じ。
 これは私だけの感覚ですが、ティーレマンがだんだんと軍人に見えてきて、私は脱走した犯人。
 自信もあり、人気指揮者で世間的にはいい演奏だと思うのだけれど、名手ばかりのウィーンフィルが振り回されているように感じてしまいました。
 そうだ、彼はセクシーじゃないのだ。
 すいません。ファンの人も多いでしょう。
 今日はこの程度しか書けません。
 
 明日、松本に行ってきます。
 いよいよ、サイトウキネンの演奏会です!