水の街・松本
松本は女性が綺麗が第一印象、第二に暑すぎて普段はそのような事もないのでしょうが、36℃位はあったのではないでしょうか。
とにかく汗だくで最初の行動が駅前のサークルKで足りなくなるとTシャツを購入、それから移動しザル蕎麦に鮎の天麩羅、ホテルにチェックインしたのはその後で、当然蕎麦という不可欠な通過儀礼を済ませてからでないと落ち着かず、結局僅か2泊の間に4回も食べたのだから蕎麦好きもここまできたら血の半分は信州のものであっても、仕事やら面倒な人間関係が解決するのなら、クラシック専門レコード屋さんも古本屋さんもあるし、この辺りに住むのも悪くないと、そして喉越しと香りに微かに少しだけ先にある秋の気配を感じ取る。
女性が綺麗なのは狭いバスの中で何時間も揺られていたから幻覚かもしれないと感じていたけれど、強ち気のせいでもなく、駅に隣接したお蕎麦屋のホール係り、駅ロータリー横のマクドナルド前で待ち合わせをしている美しき足、あがたの森に向かう通りに隣接する仕立て屋で和柄の衣装に針を通す30代くらいの斜め後ろから見たうなじ、そして特に翌日ブログ友人にご案内頂いた喫茶「M・・・」のカウンター内で丁寧に仕事をしているショートヘアーの目の美しい珈琲嬢で、肌の色は脂肪質の少ないミルクを想起させる程に白く美しく、残念ながら一度に多くの注文が入ると混乱するみたいで首の辺りから口元にかけて不用意な悲しい表情を覗かせ、勝手な想像だけれど彼女の生活臭とリンクするのだから些かやり切れないないが、店の珈琲と氷水を飲みながら美しさの源はこの「水」にあるのだと確信した。
ここは水の町なのだ。
確かにあちらこちらに手水を使えるような井戸があり、中には飲料に適さないものもあるのだけれど、何処も珈琲嬢のように透明で残暑ならではの涼を楽しむことができる。
三方面山に囲まれ最も近くに聳え立つ「美ヶ原」からの雪解けか、森林と大地の栄養分に洗われ独特の角のない甘みを含み、小さな石の囲いは水草に覆われ反射する青空に押し流され漂うように思われた。
新しく作られた井戸も沢山あったけれど、如何も観光客に向けられたそれで感心できない。
近く木曾や安曇野辺りまで行けるだけの時間があれば水の理想を見つけ出せたかもしれない。
松本城、明治の開智学校は時間をかけて見学。
良かったのは、これが演奏会の武満「ノヴェンバー・ステップス」を聴く時に考えてもいなかった心の浄化に繋がる事になったこと。
しかし演奏会は私にとって大きな悩みを抱える原因になったのだけれど詳しくは次回。
江戸、明治、あがたの森の歴史建造物が大正なら昭和は街の基礎基盤であると学び、平成の建築「芸術館」を見学いたしました。
三億円の維持管理費がその都度掛かるらしいので、オペラ好きとしてはどうしても中が見たい。
サイトウキネンの青少年向けオペラ「ヘンゼルとグレーテル」リハーサル中で関係者以外立ち入り禁止でしたが、わざわざ鎌倉から来たのだから関係者のふりをすればいいだけの話で、裏から入り雑然とした楽屋前を通り抜け、時々「おはようございます」なんて言いながら劇場内に潜入した。
素晴らしい完全なるオペラ劇場である。
馬蹄形の客席は欧州の伝統を模倣したのでしょう。
今回の「サロメ」は当日まで売り切れず、有名な地方音楽祭も小澤さんが振らなければ出かけない人も多いらしい現実は大きな問題である。
この問題は小澤さん自身当初の計画で想定外だったと想像するのは、景気のいい時代なら地元の企業が、例えばエプソンなんかが億単位のスポンサーになってくれたけれど、現在はどうなのだろう? これまでのサイトウキネン音楽祭の10数年大きな舞台は全て指揮が小澤さん中心だったのも、別の世界的指揮者を雇うだけのゆとりがなかったからではないだろうか。
そうなると今回みたいに芸術監督が体調を崩した場合に雇える代役は資金の中でやりくりできる若手に限られてくるわけで、そうなると結果オペラは客が入らなくなる。
つまり小澤さんは海外での指揮に比べ途轍もなく安い金額で音楽祭を支えている理屈になる。
そしてもう一つの問題は、音楽を聴くために松本に来る「ゆとり」のある人はどのくらいいるのだろうかということ。
事実松本は近いとはいっても都心から日帰りは無理があり大半の人は宿泊するはずで、興味はあってもサイトウキネンを聴いていないクラシック好きがほとんどではないだろうか。
単純計算でチケット代込みで数万円がかかり、(皆お金が無い)あとは時間の作り方が一番厄介である。
私みたいに借金をしてまでオペラに出かけた経験があったり、今回みたいに仕事を断り時間を捻出する馬鹿はいないのである。
どんなに説明しても「生きる為にオペラが必要」なんて理解してもらえないだろう。
屋上に上がると芝生が綺麗な庭園が広がり松本全体が見渡せる仕組みになっている。
人工的な庭で温かみは存在しない。
下を見下ろすと隣のスズキメソードからブルジョア風のご夫人に手をひかれ小さなバイオリンケースを手にしたお嬢さんが出たり入ったりしていた。
ここは元々普通の市民ホールがあった場所、過去は知らないけれど何処にでもあるような陳腐な会館だったのだろうが、それがオペラ劇場に変わり、その狭い土地の関係からか舞台の充実に対しレセプション関係のお粗末さが気になりはじめた。
憩いの庭はおまけのように屋上にあり、ロビーは小さく、駐車場は無く、都心なら駐車場はいらないけれどここは松本であり車は不可欠である。
結果、「生きていく為にオペラが必要」の論理が信州の小さな町に音楽祭の時期の少しの聴衆をを除いて槍玉にあげられ、全て悪循環になる。
最早芸術の質の話ではない。
少しずつでいい、音楽を人々に近づけて理解共感の結び目を確かなものにしてほしい。
もう一度ここが「水の街」であることに思いを馳せたい。
バイオリンの「f」はフューメ、イタリア語の川という意味の頭文字であるらしいが、アルプスから流れ出た聖なる水は大地を侵食し、エフの字を書きながら川に注がれ、時間をかけて人々に潤いを与え恵となり、家族に受け継がれ、喜びは笑顔と音楽を育み、そしていつの日か、母なる海に帰る。
女性が美しいと本文を始めたが、彼女達の肌理の細かい皮膚には、押しつげがましさの無い「水の命」が息づいていて、この街がゆっくりと芸術を進化発展させる土壌であることに小澤征爾が気づき音楽を伝えることでヒューマニズムを証明しようとしたのではないのだろうか。
芸術館の前にエフに由来するストラティヴァリ生誕の地と同じ名前「クレモナ」というレコード屋さんがある。
記念にバイオリン奏者シトコヴェツキーが編曲したバッハ「ゴールドベルク変奏曲」管弦楽版を購入した。
バッハはドイツ語で小川を意味する。
湧き水に触れた時のように涼しく感じられる音楽。
ご案内いただいたGさん、感謝しています。
馬刺しに蕎麦焼酎美味しかったです。
また飲みましょう。
今度は鎌倉を案内させてください。
ぜひ冬にでも。
サイトウキネン演奏会は次回ブログで紹介いたします。