お月見

 学生時代FMで録音したシューマンのカセットテープがデッキの中で絡まり遂に寿命。
 A面にルプーの「ピアノ協奏曲」、B面にシフの「アラベスク」と「フモレスケ」が入っていて、特別な思い出と重なっているわけではないけれど、いざ聴けなくなると寂しいもので、仕事帰りに横浜のタワーレコードで同じものを買った。2枚のCDは私に買われるのを待っていたみたい。
 それで今まで聴いていたのだけれど、今宵中秋の名月部屋の電気を消してカーテンを開けディスクを流すと、遥か郷愁と内なる思いが結びつきこんなにも明るかったのだな、自宅近辺には人工的な光が無いので本来の夜の姿か山に囲まれ屈折した光線斜面に反射し白く輝き、いくら個人的に好きな曲であっても自然の全てを優しく包み込むような普遍的響きに感じられてくる。
 ルプーの伴奏はプレヴィンがロンドン交響楽団を振ったもので、両者の技術と信頼関係は勿論のこと、何よりデッカの録音が素晴らしく、形容が難しいけれど堅苦しさの無い全体に丸みを帯びたような、安心して音楽に身を委ねられる完成度。(贅沢を言うならレコードで欲しかった。)
 こういう演奏を最近の私は求めているのだなと思うのは、以前はめりはりのあるもう少し重厚なものだったけれど、バランス感覚の良い職人的な確かな手ごたえと構えないで音を吸収できる感じがいい。
 自己主張の無い中庸をいく音楽と昔なら思っていたけれど、程が良いことの素晴らしさよ。
 月にススキとお団子の関係みたいです。
 
 翌朝曇り今にも泣き出しそうな空、風強くベランダでは夏の花火翌日に買ったガラス風鈴がカラカラ音をたてている。暑さ寒さも・・とはよくいったもので、昨日の太陽が遥か昔のよう。
 一雨来るかなと思いつつ、植物達に控えめに水を撒く。
 シフの「蝶々」「アラベスク」「フモレスケ」、これがまたいい。
 特にフモレスケが心に響きクラクラする。
 フモレスケとはドイツ語で機知等を意味し恐らく日本語で該当する言葉は無いのではないだろうか。
 感情の質には表と裏があり彼らの言葉のセンスとリンクするのか、私の想像だけれども、喜びと悲しみ、出会いと別れ等はある種の同義性があるように感じ、この音楽だって構成形式が悪い言い方すると纏まりが無く、それでもロマン派ならではの美しく時に機敏なユーモアに魅せられてしまうのだから、好きなのだろう。
 言葉の構成のように、特に書く文章のように前後の関係を確認するように音が空を飛ぶ。