N響定期マリナーのシューマンで幻覚を見た。
指揮 ネヴィル・マリナー ピアノ アンティ・シーララ
シューマン生誕200年を記念してのコンサート、当日発売いつもの1,500円3階自由席にて鑑賞。
渋谷がどれだけ駄目かと言うと、人の多さに悪い気が立ち込めているからで、座席に着き、そういえばここにきたのは今年に入り初めてなのだと思い出した。
頭がクラクラし呼吸のバランスもおかしくて昼に食べたものが逆流するのを我慢。
開演30分前に薬を飲み音楽に備えたが、調子が戻らないままに序曲が鳴り出した。
恐ろしいことに、ここから先の前半の記憶が曖昧で実はよく覚えていないのである。
曖昧ながら・・マリナーは端正な音楽作りで変な小細工は使わず好ましいみたい。ピアノは淡々とした演奏で害の無い伴奏が花を添えていたみたい。つまりもの凄く普通の演奏みたいだったように思う。
休憩時間下の階にお茶を飲みに行ったら、50代くらいの紳士が3人私の横で「マリナーは冒険しないからつまらない」とか「ピアニストはクールで音楽に起伏が無い」とか話していた。
矍鑠としたマリナーは80代で、そうは見えない。お前らの方がジジイだと思いました。気に入らないなら帰ればいいのに。
ベルが鳴り、席に移動しなければならないのだけれど3階まで上る気力が無く、そのまま一階席に座る。
誰かがきたら「席間違えましたね、すいません」と言えばいいと、でも誰も来ないから、後半はマエストロの近くで聴いた。
体調が少し良くなり、「ライン」ワクワクする名曲である。
端正なシューマンで、とてもノーマルに進んでいくのは、幻覚の中で聴いた前半と同じ。
マリナーは昔から一流の指揮者だけれど、なかなか世界的な名演が無かった人、アカデミー室内管と沢山の録音を残し、特にモーツァルト好きで知らない人のいない大きな存在なのに超一流とまでは誰も評価しなかったのではないだろうか。
何かが足りないから世間では上記のような存在だったのだろうか、時間が経過するうちに、そうではない彼の音楽を誰よりも好きな人がいるはずだと私は感じてきた。
これは抑制された男の美学なのだ。
終楽章最後のラッパがファンファーレみたいにする箇所だけ急にテンポをたっぷり取った時、私はドイツのライン岸の古城の幻覚を見た。これは危ない!
そういえばオーケストラの一人一人が信頼を寄せミスの無いように懸命に演奏していた。
私は無理してでも聴けてよかったと心の中から思った。
テレビだけではこの感じわからなかったかもしれない。
シュ-マンに集中しすぎてまた具合が悪くなる。