ブルックナー9番終楽章

 アーノンクール指揮ウィーンフィルのCDブルックナー9番、随分前から気になっていましたが中古で安い輸入盤を見つけ買いました。
 先日サントリーホールで実演に接したウェルザー=メスト指揮の同オーケストラのクールな表現が悩みの原因で、ここ数日間あれこれと考えていたわけ。
 このディスクは二枚組で一枚は通常の1から3楽章が録音されていて、もう一枚には未完の終楽章についてアーノンクールが語り、それは講演会のようで断片的に音楽が合計で16分程度入っている。
 困ったことにドイツ語のワークショップだから理解ができず、おしまいの方で何故か急に解りやすい英語になるけれど、いずれにしても国内盤にすればよかったのですが、それでも素晴らしい終楽章に興味津々。
 どうやら第四楽章が完成したのなら9番は相当なスケールのシンフォニーになったようで、終楽章でもアダージョでも「テ・デウム」からの引用と導きがあって、たとえ死を前にした作曲家が続けて演奏するように指示を出していたとしても、最初に構想した段階では基本的に「テ・デウム」と関係がないと私は感覚的に判断した。
 全体はフーガのように構築され、6番のような旋律が出てきたり、それ以上に衝撃的なのは「タンホイザー」を模したとしか思えない箇所があったりとドイツ音楽好きとしては聴いていて非常に面白い。
 私はこれまで終楽章の断片すら聴いたことがなかったのですが、今回初めてそれに触れて曲全体に対しての印象が完全に変わってしまった。
 つまりアダージョはけっして終着点ではなく、最終楽章の導入に過ぎないように思われ、それは死の想念の先にある神の世界を真剣に創造しようと意識したからと考えると、私はこれからは3つの楽章だけでは精神的に満足できないような気分になってしまった。。
 こうなると、良い悪いに関係なく補筆や改訂の幾つかの盤を、例えばアイヒホルン等を聴いた方が、混乱が整理できそうな気がする。
 なにせ勉強不足で感覚に頼っているので、これは何時まで経過しても完成しない聖家族教会の音楽版であろうか、などと考えてしまった。
 この課題は大きな話で睡眠薬を服用してから書いているので、改めてまた。