ペーター・ホフマン死す

 ペーター・ホフマン(ドイツのテノール歌手)11月30日ドイツ南部バイエルン州の病院で肺炎のため死去、66歳。
 70年代バイロイト音楽祭に出演し注目され世界的に活躍。晩年はパーキンソン病で療養生活を送っていた。
 突然訪れた訃報にとても悲しい気持ちになりました。
 風体はこれぞゲルマン民族のそれ、「パルジファル」 「トリスタン」 そして私にとって最も好きだったブーレーズ指揮シェロー演出「ワルキューレ」では、筋肉質の肉体美で人間ジークムントを演じ、勿論G・フリードリッヒ演出「ローエングリン」では長い金髪を靡かせ神を歌いきった。
 学生時代は10種競技の記録を作り、軍では落下傘部隊、オペラで成功してからは聖地バイロイト近郊にある古城で生活、白馬とハーレー・ダヴィッドソンとロールスロイス、庭ではローエングリンとエルザと名付けた黒鳥、まさに美しき永遠の青年像として存在、私は憧れていた。
 一度だけ生の歌声を聴いたことがあり、それはサヴァリッシュ指揮N響演奏会でのワグナー3曲だった。
 今思えばパーキンソン病の影響だったのでしょうが、響きある声からほど遠く、ワルター「優勝の歌」では最後のキーをオクターヴ下げてしまうなど散々な結果でショックだった。
 当時は病気のことを我々は知らされていなかったのだから、風邪などでよほど調子が悪かったのか、或いは無理な発声を続けた結果オペラ的歌唱を失ったのだろうか?と色々話題になった。
 同じ年だったか思い出せないけれど、年末にFMで放送されたジークムントは音程も何もかも全てがおかしく悲劇的歌唱。
 ドイツの悪しきマスコミはルネ・コロをライバルに取り上げて声を失いかけているヘルデンテナー(英雄)を揶揄した。
 それは社会的に活躍し続けてきたホフマンの宿命かもしれないけれど、コロの性格は与えられた役柄に対しては真剣だけれど声を大事にするがあまり平気でキャンセルしたり、カラヤンやウォルフガング・ワグナーと喧嘩したり、「レコードの売り上げなんかどうでもいい」とか、死んだトリスタンになった時は「早くビールが飲みたい!」とユニークに感じられるくらい適当な個性。でも、そこが好きで私がワグナーにのめり込んだのもホフマンではなく、いつも最高の状態でステージに現れたコロの歌が全てだったといえる。
 今なら解るのはホフマンはきっと真面目な性格で調子が悪くても常に完璧を求め、だからオペラに居場所が無くなればミュージカルに転身しポピュラーだってCD化、(youtubeで簡単に彼の歌うビリー・ジョエルなんかが聴ける。不思議に感動的なのは何時でも本気だから) コロはポピュラーで歌の世界に入りオペラや歌曲で英雄になったからホフマンとは間逆だった。ホフマンはコロを尊敬していたと自伝で表白している。コロは多くを語らないが、かつてバイク事故で数ヶ月オペラ舞台に立てなかったホフマンの代役を務めたのはコロだった。マスコミなんか信じてはいけない。彼らは互いの芸術を確認し心は通じ合っていたのだ。
 ある時ホフマンは治癒しない病パーキンソンであると自ら公表し、亡くなるまで同じ境遇にある人たちに資金を援助し勇気を与え続けた。この行動力には頭の下がる思い、歌えなくなっても彼はヘルデンだった。
 最高の時代に録音或いは録画されたディスクが幾つか存在することは音楽界の財産であると考える。
 英雄はブリュンヒルデの導きでワルハラに向かったのです。
 合掌。