資生堂パーラーとイゴール・レヴィットのゴールドベルク変奏曲

4/11(木)東京春音楽祭(東京文化会館小ホール)イゴール・レヴィットのバッハ「ゴールドベルク変奏曲」は期待以上のとんでもない演奏でした。
 詳しくは後ほど書きますが、非常に贅沢な1日だったことから報告させていただきます。高等遊民だった小生も、いつからか高等貧民となり、この先は琵琶法師を断念してそのまま即身仏になるしかない状況。たまに財布に出現する500円玉を「カラン」と瓶に投入すること数ヶ月。遂に塵が山に(小さな丘程度だが)なったのが、つい先週のことだった。当初は4月頭には解決する予定でしたが、お世話になっている北本の合唱団と合流したり、元取引先のYホテルで久々のスタッフと喜びの再会したり人間関係は豊かであってもややこしい。疲労は精神が削られる。しかし薬があってきたのか比較的行動力が増した印象。一昨日までは。
 ということで16時に軽く食事と銀座の資生堂パーラー本店に入館。
 イタリーのミネラルウォーターで喉を潤し、グリーンアスパラの冷静コンソメスープとオムライスを注文。 
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 もしかしたら究極の冷静コンソメスープだったかもしれない。

 そして伝統のオムライス。こりゃ芸術作品。
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 どのようにしたらこんなに美しく作れるのだろう。

 場所を移動して宮越屋珈琲エスプレッソ。
 場所を考えると以前は「らんぶる」でしたが、ここ数年ハズレることが多く遠い存在となりつつある。 
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 この段階で全てに満足してしまい、演奏会がどうでもよくなるが、そういうわけにもいかないので新橋から山手線で上野に移動。車内の混雑は戦う労働者だらけで大混雑。よく毎日平気に過ごされているなと感心する。自分だったらパニックになるだろうな。
 東京文化会館は好きな小ホール。
過去現在含め様々な巨匠のサインがポスターを彩っていた。最初の頃は小澤征爾氏がタンホイザーやオネーギンだったと思い出した。
毎回クオリティーの高い出しものが多く、松本が更に遠くに感じられる。
 東京春は来年のトリスタンが今から楽しみ。

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珍しい?ムーティのサイン。初めて見た。女性アイドルみたいな筆記。

 カテリーナ・ワーグナーもありました。
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席はちょっと左側。でも指の動きは観察できるし、なんといっても超絶技巧の旬のレヴィットをこの距離は贅沢。
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ゴールドベルクは美しく静かに開始した。テンポ遅めのアリア。おしゃれな行間を駆使しつつ気取りの無いピュアな世界。幾つかのバリエーションに耳をすませれば、紙芝居を見ているような気分になってきた。トータルでのタイトルは人生とでも名づけようか。以前nemoさんに教えていただいた、仮にバッハにしては淡白で飾り気のないアリアが名もしれぬ作曲家の旋律だとしたならば、あれは誕生にあらず奇跡的な受精。我々が生きている確率は限りなく0に近く、そこから偶然の積み重ねに翻弄されながら嘆き悲しむ。時に喜びはあれど、バッハはそれでも過酷な試練を次々と与えてくる。中間地点を過ぎた辺りでふと自分の現在にまだ到達していないと感じ不安になってきた。つまり今は未来に所属しどうやら確実に死に近づいている。
 電車の中で感じた勤め人の疲労した表情や、楽しそうに「飲み屋に行こう!」と話し合っている数名の姿を思い出し、僕もフリーランスではあるけれど同じような時期があったわけで、刺激に満ちた日常に満足とまではいかなくても「これで大丈夫。」程度の自信は誰よりもあった。不確かだけれど22歳~40歳までの18年間が該当するなら、ある種の後悔があり、無意味に生きる時間を加速させたように思われたから。  
 ゆとりの無い社会では仕方がない?仕事があるから食べる事もでき音楽も聴け恋愛もできる。たぶん数々のオペラや美術や女性、確かにクライバーの「薔薇」を鑑賞し、デューラー「四人の使徒」、マウリッスハイスの誰もいない小部屋で「デルフトの眺望」「ターバンの少女」と対峙できたが、もしかしたら全ては幻覚であり妄想だったのかもしれない。ピアニストは何かにとりつかれたかのように音を鳴らし、彼独自の哲学?華やいだ拡がりのある音色なのに内なる世界に陶酔する。グールドのように右手で指揮をする瞬間も。不思議なのはレヴィットの技法だと、例えば単音であってもクレッシェンドして聴こえてきたり、現実世界では起こりえない音楽が奏でられること。また隣町の教会の鐘の音が静かに響いたかと思えば、春の陽射しを受け風になびく水面がキラキラ輝く。「死に急いでどうする?」と質問すれば「短くてもいい。試練の中にも美しさは存在する。私はそれを感じたい。」と返された印象。
 ジョイスユリシーズ」の大海から川→小川→最終的にはトイレの水。狂乱した女が嘆き呟き(句読点がない)それでもトイレの水に美しさを見出す。バッハ=小川。やはり水のように清らかなもの。
 時間は過ぎ去り、自分が現在第何番なのか理解できないまま、アリアへと突入。
 フランスあたりの名も無き作曲家のアリアであっても、バッハオリジナルであっても、約80分前のリフレインが全く異なる音に感じられ目頭が熱くなった。
 聴きに行って良かった。
 
 以下ご参考までに。

マーラー交響曲第10番嬰ヘ長調 デリック・クックよる補作

 Mahler:Symphony Nº10 in F sharp minor(1910).(Cooke ,1976 version).
I.Andante-Adagio
II.Scherzo
III.Purgatorio
IV.Scherzo
V.Finale
South West German Radio Symphony Orchestra,Baden-Baden.
Michael Gielen.

 youtubeで時間を掛けて、Mギーレン指揮(SWR)ブルックナーマーラー交響曲を全て聴き、色々と想像をめぐらせておりました。
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 マーラーの10番に関してはAdagioだけで充分と考えていたけれど、この指揮者がわざわざクック版を録音しているのには何か意味があるのかなと思い、約80分間の音楽を初めて鑑賞してみた。
 最近まで苦手というか、情報量の多さに異常に脳が活性化されてしまい≪満員電車で数時間我慢しているような感じ≫を作曲家にいだいて、まだ初心者なのです。ちなみに「嘆きの歌」も聴いたことない。
 情報量の多さは仕事が忙しすぎて頭の中で処理仕切れない状況に似ていて、酸素不足のイライラから加呼吸に陥る場合がある。フリーに生きてきた理由もこの辺りにありそう。ちなみに来週は精神科でカウンセリングを受けなくてはならない。
 今考えると欧州旅行に行った自分が考えられないが、つい数年前まで「のぞみ」「ひかり」に乗ることができずに「こだま」に決めていたほど。「もっと空気を。」
 とは言いつつ3年前、ウィーンから帰国するアエロフロートの中で煩いアメリカ人と大喧嘩になりロシア人に制止させられた経験がある。あの時は久しぶりに殺意を覚えた。
 そんな現実を踏まえ、私はどうやらギーレンに救われたような気がしてならない。
 初めて聴くクック版はややこしいリズムのScherzo楽章が2度あって、自分がどこか同じ場所をぐるぐる回っていて目的地に辿り着けないような不安を想起させ、健全とは言えない音楽。
 例えば、熱を出して深夜魘されている雰囲気にさも似たり。吐気と下痢を繰り返しながら「健康になりたい。」・・ところが徐々に全身が汗ばんできて、体温計を確認すれば39℃から37.6℃。「ああ治る。」でも立ち上がると、まだふらつく感じ。気分転換に寒い外に出て煙草を咥え「不味い。でも冷たい空気が心地良い。」
 気がつけば不覚にもクックに魅了されている小生。
 衝撃的なのはIV.Scherzo~V.Finaleの中間地点で唐突に鳴らされる太鼓のFなのですが、スコアが無いから(買うつもりも無いが)わからないけれど、最初の太鼓から終楽章なのでしょうか? 知識人よ誰か教えてください。
 その後再び太鼓が繰り返され、木管と弦による美しい旋律がやってくるが、ラッパのファンファーレ?さらなる太鼓で夢が打ち砕かれる。救いようの無い現実。ところがいきなりコメディア・デラルテを思い出させるようなプルチネルラ的メロディー。滑稽なピエロの踊りみたい。でも直ぐにこの世のものとは思えない大いなる存在に導かれる安らぎ(どこかで聴いたような旋律。)不確かな感情の起伏。循環呼吸のようなラッパ。ああこれはAdagioの再現部かもしれない。
 いつからか再び美しい世界に満たされて行く。病気であれ事故であれ戦争でも「人はこのように死ぬるのかな?だとしたらそう悪いことでもなさそう。」
 静かに音楽が静止。「ジーン。」

 ふと我に返る。
 これって名曲かもしれない。
 マーラー最高の好みが10番クック版だとしたら、お好きな人には変に思われるかもしれませんが、そういうこと。
 

カンブルラン指揮.特別演奏会〈果てなき音楽の旅〉 2019 3.19

 既に1週間経過いたしましたが、下記の演奏会を聴いてきました。

 2019 3.19〈火〉 19:00  紀尾井ホール
 指揮=シルヴァン・カンブルラン
 ピアノ=ピエール=ロラン・エマール*

 ヴァレーズ:オクタンドル
 メシアン:7つの俳諧*
 シェルシ:4つの小品
 グリゼー:「音響空間」から“パルシエル”
 
 月中「グレの歌」以降、細かな用事が多く疲労の只中におりましたが、楽しみにしていたので少し頑張り出かけたのです。(グレの時も途中までふらふらしていた。)
 用事と言っても現在休職中なので、全てにおいて自ら仕掛けた忙しさで、病院のスケジュールやらスマホを解約して格安に変更等、普通なら何てことのない出来事でもいちいち時間が掛かる作業は難儀。
 しかもアレルギーの薬が思った以上の副作用があり、電車やバスに乗ったとたんに眠ってしまい、この日も東京駅で乗り換える予定が気がつけば錦糸町で、慌てて逆の電車に飛び乗れば「しまった、これって横須賀線じゃない。」と地下に入り気がつく。それでもどうにか四ッ谷に到着し上智の横を歩き紀尾井ホールに辿り着いた。
 入口で先日のサントリーノイズ事件の相談者が迎えてくれたが、全く僕の存在に気がつかない様子。所詮読響のスタッフはその程度。適当な性格なのだろう。
 「終演後サイン会があります。」CD売場はいつものHMV
 ところが、紀尾井でも同じような(16000Hz以上と思われる)ノイズが聴こえてくる。少しサントリーより小さく感じるけれど、どうやら僕の耳にしか聞こえてこないとしたら、今度は耳鼻科か、もううんざり。
 
             ヴァレーズ 1883-1965
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 ヴァレーズはマルセル・デュシャンル・コルビュジェ、アンリ・ミショー、ヘンリー・ミラーマン・レイパブロ・ピカソジャン・コクトーエリック・サティ等と交流があり、自分の人生を「ジャン・クリストフ」に準えていたらしい。ただ長く面白みのない小説を読んだのは14~15歳だったか、孤独を気どるわがままな作曲家の印象しかないが、ロマン・ロランの名言?混沌の中で微かな喜びを感じ取り「あなたは?」との問いかけに、彼を導いた聖なる存在が「生まれいずる日なのです。」のような最後だったなと思い出した。そういう語で感動を要求されるのが苦手。
 「オクタンドル」とは8弁雌雄両性花という意味。8枚の大きな異様な赤い花びらを想像しながら鑑賞。舞台の奏者8人それぞれが悪臭を放つラフレシアの花びらに見えてくるから不思議。この音楽には臭いがある。
 こんなものを描く画家はあまりいないだろうけれど、仮に二次元で表現されれば人を飲み込み蠢くようなイメージは静物画にあらず生物画のよう。
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 しかし先ほどまでの睡魔はどこへやら、完全に脳が覚醒している自分に気がついた。この日の作曲家の中では最も面白みのない作品でしたが、なにか不幸な出来事を予見しているような危機感を覚えたのは何故だろう。
 アンリ・ミショー詩集のどこかに年老いた母親の臨終を表現した内容があり、詩人は笑顔の可愛らしい少女を見出す。感動的な詩だ。服用していてメスカリンの効用から描き上げた墨絵のようなミショーと対極の姿。
 「オクタンドル」はその中間地点で揺らめいている影のように思われた。

              メシアン 1908- 1992
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 「7つの俳諧」、”Sept Haikai: Esquisses japonaises pour piano et orchestre”(七つの俳諧-ピアノと管弦楽のための日本の素描)
 1. Introduction/導入
 2. Le parc de Nara et les lanternes de pierre /奈良公園と石燈籠
 3. Yamanaka cadenza/山中湖~カデンツ
 4. Gagaku/雅楽
 5. Miyajima et le torii dans le mer/宮島と海の中の鳥居
 6. Les Oiseaux de Karuizawa/軽井沢の鳥たち
 7. Coda/コーダ
 新婚旅行で日本に来たメシアンが作曲したもの。上記のように日本的美意識を感受する非常に贅沢な旅行だったことがわかる。ちなみに雅楽は皇居に招待され鑑賞したとのこと。
 ヴァレーズの臭いから開放されたからか、馴染みの作品だからか安堵。
 改めてと申しますか、実演で聴くのは初めて。発見も幾つか。
 Introductionは日本じゃない可笑しなリズムは、バリ島辺りとごちゃまぜと思う。
 他の作品も日本か?そうじゃないけれど・・そういえば以前ブログで紹介した「アッシジ」の抜粋上演で来日した際のシンポジウムで、僕の「我らの大半はクリスチャンじゃない。」発言に激怒!!≪やばいぶっ倒れたら「仏の国宝、無知な少年の発言に激怒して死去≫なんて新聞見出しを恐れた過去を思い出し・・「でもあなた神道や仏教を理解できていない。」と今なら対等に議論できると思った。
 それでも山中湖と軽井沢は世俗的世界のそれで、許されないのは雅楽篳篥(ひちりき)をラッパなんてけしからんと感じる私。しかも皇居での体験に触発されたなんぞ血が許さない。(大叔父が宮内庁勤務の我が家系。何していたのか知らない。)
 宮内庁雅楽といえば破門の立場ですが、以前東儀秀樹氏と仕事で会ったことがあり、打ち合わせのときに「すいません。ヒチリキってどう書くの?」と恥ずべき失態を経験したっけ。
 先日カンブルランのインタヴューを読んでいたら、宗教の違いは鑑賞に問題ないと記されていた。その時マエストロのリベラルを感じたのです。
 自由主義は高貴な立場であり、そこでは思想の自由が保証されているはず。つまり寛容。寛容=敵と共に生きる=反対者と共に統治する=聖なる他者との合意=どうにか折り合いをつけるを意味する。
 ようは、高貴な身分は庶民の中にいるトポスを認めなければならない。相手の自由を認めることに心理を見出すなら「メシアンよ。あんたは間違っている。」
 てなことを考えていたら休憩時間になりました。

シェルシ 1905-1988
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 ウィキ参 ≪トサッティの証言はシェルシの死後なされたものであったにも関わらず、シェルシの生前から、イタリアにおいては、一部の作曲家の間でシェルシとトサッティの関係は「公然の秘密」であった。しかし、国外ではシェルシの「共同作曲」の事実は知られておらず、『ことばの誕生』が国際現代音楽協会(ISCM)の大会で初演されることになった際に、ゴッフレド・ペトラッシに対して、ISCMフランス代表の指揮者ロジェ・デゾルミエールが「イタリアにはジャチント・シェルシという偉大な作曲家がいる」と語ったが、「共同作曲」の事情を知っているペトラッシは、笑いを堪えきれなかったという。
 こういう話を読むとウィキはかなり適当。下まで読んでいくと、関連に「佐村河内守」の名前。もう嫌になる。
 MFさんから具体的な事情を聞き納得。
 例えば渋澤龍彦巖谷國士 土方巽 細江英公 四谷シモン 金子國義 矢川澄子にいたるまで係わった全ての象徴が渋澤龍彦と考えてもいいと僕は思う。「サド」の翻訳は矢川澄子だと僕は文体から判断している。しかしこれは贋作ではない。
 文章が長くなるので端折りますが、とても面白い世界がシェルシから広がっている。


グリゼー 1946-1998
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 ウィキ参 パリ国立高等音楽院オリヴィエ・メシアンの分析クラスに在籍し、同時にパリ・エコールノルマル音楽院アンリ・デュティユーの作曲クラスにおいて学ぶ。また1972年にはドイツのダルムシュタット夏季現代音楽講習会カールハインツ・シュトックハウゼンジェルジ・リゲティヤニス・クセナキスに学ぶ。同年ローマ賞を受賞し、滞在先のローマメディチ荘ジャチント・シェルシと会い、倍音や音響現象に強い興味を抱くようになる。
 
 超エリートである。しかし短い人生が残念でならない。
 
 グリゼーの音楽思想の最初の集大成と言える音響空間」は、ヴィオラソロのための「プロローグ」、7人の奏者のための「ペリオド」、18人の奏者のための「パルシエル」、33人の奏者のための「モデュラシオン」、管弦楽のための「トランジトワール」、そして4本のホルン管弦楽のための「エピローグ」と、徐々に編成が大きくなる計6曲からなる。これらは全曲にわたってミ(E)の音の倍音に基づいて書かれており、純粋な倍音から噪音(ノイズ)を多く含む音、そして完全なノイズに至るまでの、さまざまな音響スペクトルの推移を描いている。

 代表作の中から「パルシエル」だけが演奏された。
 後日youtubeで全て聴いたのですが、この人は凄いと思った。
 楽譜を確認すると奏者のパフォーマンスが絵画のように記されていて、例えばチェロ奏者が後ろを振り返る。マエストロがポケットチーフで汗を拭き振り回す。会場が暗くなり打楽器奏者のシンバルだけにスポットが当たり豪快に鳴らすと思いきや、ポーズだけで暗転。場内から笑い。
 ふと気がついたのは、グリゼーの生きた時代は≪指揮者の時代≫で、星の屑じゃない、星の数ほどレコードが生産された。そしてCDの時代。どんなに美しく録音されたとしても音だけでは再現不可能。動画なら?ホールに行けば不可能だと誰もが理解するだろう。実演以外は陽炎みたいなものなのです。

カンブルランのカーテンコール
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 カンブルランがしばらく聴けないのが残念。来期の読響には興味が湧かない。ただ来年2月にコルネリウス・マイスターがベルクv協奏曲(テツラフ)とブルックナー2番があるので聴いてみたい。
 サインはもらわないつもりだったけれど、とりあえず列に並び自分のジャケットからポケットチーフを取り出して汗を拭く真似。
 書きにくいから2人で一生懸命押さえながらの作業。カンブルラン大爆笑!握手してくれて嬉しかった。MFさん、シルバーのペン貸していただきありがとうございました。
     チーフのサイン。これはお宝だぜ。額に入れて部屋に飾る予定。
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たんぽぽ

 市ヶ谷から鎌倉の病院に移り約2週間おきに主治医と話して処方箋を頂だいすることになったのですが、その医師が5月半ばに開業する旨を聞き(場所は藤沢)遠くはないが、これでまた市役所に届けと領収書提出の義務が発生することになる。
 しかし睡眠導入剤やいつ来るかわからないパニック障害を予防するためには仕方がない。現在の病院は鎌倉山山頂ののどかな場所にあり、行くのは大変だが非常に心地良く精神的には楽である。バス停から1.5キロの距離にありぶらぶらと高級住宅街を歩き、コンビニもなにもない一番奥にそれはある。
 駐車場から下界を見下ろせば我家が見え、直線なら400mなのに切り立った崖のような場所だから遠回りも仕方がない。
 先日診察の後にカウンセリングの時間まで1時間半ほど待たなければならず、最初は庭のベンチで女医さん(当たり先生と呼んでいる・つまりハズレもいる)や事務職の人とお馬鹿な会話をしていたが、飽きてしまい周囲を散歩しようと考えた。
 そうしたら建物の裏に獣道のような(進んでいいのか?)ものを発見。
 こういうとき僕は負のオーラが漂っていようが歩くことに決めている。
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 少し進むと森の中に古民家のような廃墟が幾つか点在していた。いつ崩れてもおかしくないような、でも家には見えない。
 とりあえず気にせず歩みを進める。獣道は続く。
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 そしたらなんと舗装された階段が出現。
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 つまり自宅までの近道があることを知らずに10年以上住んでいた我が奇妙な街。
 ちなみに階段したの奥の集落?の近くに自宅がある。 集落左側の山の中は大仏切通しなる歴史的名所である。
 カウンセリングの時間が近づいてきたのでクリニックに戻ったが、あとから聞いたら美しき外装の建物は40年程前まで檻に張り巡らされた精神病院だったそうで、馴染みの珈琲屋曰く「子供の頃に近くにある夫婦池で釣りをして遊んでいたら、病院から脱走した元自衛隊員が池近くの森の中に隠れて魚や獣を捕らえて自給自足のサバイバル生活をおくっていた。」そうである。元自衛隊員の名前はボクチャンといい、だいたい6ヶ月位潜伏していたものの保護された。凄い話である。
 それから驚いたことにこの病院は82年前に開業したそうで、最初は結核の療養所だったそうである。ということはあの廃屋はその名残と思う。
 結核の療養所といえば生まれ故郷の茅ヶ崎にその昔東洋一の「南湖院」という巨大な施設が存在していた。母校の西浜小学校の裏にそれはあり、先生からは「南湖院は廃墟で崩れるかもしれませんから、あそこでは遊んではいけません。」と注意されていた。そうなると遊びたくなるのが子供というもので、探検したりカン蹴りや鬼ごっこが僕たちの日常だった。以下の記事はブログをはじめたころに南湖院について書いていたから参考までに。
 つまり何が言いたいかというと「ボクチャンはクールな湘南ボーイなのである。」
 パートナーは北海道で「ハートカクテル」を毎回購入しながら「湘南はこういうところだべさ。」BGMは山下達郎やサザンだった。それを道産子というらしい。


 帰りはバス通りを避け先ほどの獣道を歩いた。あまりに急な坂道と階段で左足に痛みを覚え、翌日紀尾井ホールで緊張しながらメシアンを鑑賞していたら足が攣ってしまった。
 

 その日の夜中。突然川端康成先生「たんぽぽ」なる未完の傑作を思い出した。
 その時の自分は入院患者の如く「あぎゃー!!」あれだ・・という感じ。
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 どこかの古本屋で購入した初版。
 美しい装丁。好きではないが東山K先生にしては良い仕事。
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 この小説が傑作かどうかは別にして川端全集読破の初版収集家としては時代背景がなんのその「現在にそぐわない言葉が記されていますがノーベル文学賞受賞者晩年の芸術性を鑑みここに紹介させていただきます。」としか書きようがない。
 それは1頁目にいきなり訪れる。
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つまり、川端先生の「丘の上の病院」とは確実にここであると確信。
 我家から川端邸は近く、大仏切通しの反対側でバスで3つ目の長谷観音前から3分程度の場所。鐘の音は間違いなく長谷観音と考えた。海までは僅かの距離。
 ということは必ずロケ地に赴く巨匠はあの獣道を歩き、鷹のような目で当時も廃屋であったろう小屋と鎖と檻に囲まれた精神病院を観察した。
 しかしこの作品は読めば読むほどに奇怪な内容であるが、帯にある「愛の深淵をうかがい独特の観想を語って・・」非常にエロティックな想像力を書き立てる。
 この気づきは意義ある発見だった。
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グレの歌 シルヴァン・カンブルラン/読売日本交響楽団 3月14日

 演奏会前に新宿ディスクユニオンに電話して「アッシジの聖フランチェスコ」のCDの在庫状況を確認したら「1枚だけ3千円代であります。」ということだったので、買いに出かけた。紀伊國屋書店の8階にお店が移動したというが、驚いたことに左右のビルが消滅していた。イメージ 1
 1階の煙草屋で1,500円分の巻き煙草(半月分)を購入。
 店員が「アニキはいつもこれですか?」→「気分しだい。毒っ気のあるのなら何でもいい。」→「これからどちらへ?」→「煙草買ったら珈琲屋に決まっているだろう。」→「かっこいいな~」
 但馬珈琲の2階カウンターに移動して「マンデリンを濃い目で。」そしたらやけに丁寧に煎れてくれる従業員。「アニキ、味は大丈夫ですか?」→「ありがとう。美味しいよ。」→「良かったです。」→「ご馳走様。」→「アニキこのあとは?」→「デンマークの伝説の中へ。」
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 なんでアニキなのかなと疑問を感じつつ、茶髪ロン毛パーマに黒いサングラスとレザージャケットだからかなと気がついた。老舗ホテルや高級レストランから仕事をいただいていた月日は完全に過去のものになったと感じた。
 髪型に関しては当初ボブ・デュランを目指していたが、途中からロバート・プラント。現在はペーター・ホフマンを目標にしている。
 地下鉄に乗り溜池山王に向う。人が多すぎて気が狂いそうになった。
 何とか目的地に到着。
 サントリーホールのポスターを見ながらカンブルランみたいに髪の毛を後ろで縛れるなと思ったが、それでバンダナでもしたら、鎌倉あたりでオカリナを吹く馬鹿なカフェのオーナーみたいに一気に変貌するかもしれないと恐怖を感じる。
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 そう、これからシェーンベルクを聴くのです。
 
 ロバート・ディーン・スミス(T:ヴァルデマル)
レイチェル・ニコルズ(S:トーヴェ)
クラウディア・マーンケ(Ms:森鳩)
ディートリヒ・ヘンシェル(Br:農夫・語り)
ユルゲン・ザッヒャー(T:道化師クラウス)
合唱:新国立劇場合唱団(合唱指揮:三澤洋史)
指揮:シルヴァン・カンブルラン/読売日本交響楽団


 デンマークの作家イェンス・ペーター・ヤコブセン(1847-1885)詩集内の「サボテンの花ひらく」に「グアアの歌」「アラベスク」と「気分」、巻末には「グレの歌のために」(デンマーク中世の伝説に基づく)ロベルト・フランツ・アーノルトがドイツ語初訳として1897年に発行。アーノルトは2年後の1899年に改定した「ヤコブセン全集」を発表しているものの「グレの歌」と差異が生じているので、初訳家と議論があったか?は想像だけれど、ドイツ語初訳をシェーンベルクが採用したらしい。らしいというのは100年以上前の細かな出来事なんか知っているわけない。

 お話の内容は単純なもの。難しく考える必要はない。
 第1部 デンマーク王ヴォルデマルがグレにある狩猟用の城で侍従のトーヴェと不倫している。それを嫉妬した王妃に謀られトーヴェは毒殺される。山鳩は「トーヴェは沈黙している」と言葉にする。(1時間位かな)
 第2部 ヴォルデマルは怒り狂い神を呪う。そのかどで命を失い死者の霊となった国王は毎夜グレの城近辺を狩りをしながら彷徨う。(2部は短く数分)
 第3部 ヴォルデマルを見かけた農夫はびびって「3本の十字架を作らなきゃ。」家来たちは「最後の審判まで狩りは続く」と叫ぶ。ヴォルデマルはトーヴェの名を繰り返し2人の魂は結びつく。霊と共に狩りを続けさせられている道化師クラウスの心情。そして最後の審判。命の救済が暗示され輝く太陽が朝の到来を告げる。(50分位?)
 色分けは分かりやすさというより、個人的に色彩の共感覚みたいなものがあって「青の時間」やら・・現実世界の人間も色彩で判断することが多く、ハルコウさんはモスグリーン、とむさんはイエロー、MFさんはエンジ、nemoさんはホワイト、ぐらごるさんはベージュ、あすかさんはオレンジ・・
 
 席は1階の17列目右側。毎度のことですがオケの練習が煩いのでロビーのベンチでギリギリまで過す。
  
 今回の演奏を世間はどう感じたのか興味もないが、僕には非常に贅沢な時間だった。細かなことを言い出すと音楽的な駄目出しや、他者との比較に終始するのだろうけれど「一期一会」の体験に専門家みたいに神経質になる必要もない。
 そんなことより「君はグレの城を見たか?」である。
 ちょっとだけ指摘するなら「君たちはゴールのないマラソンをしているのか!全力で走れ!あのアッシジは奇跡だったのか?光を感じろ。」である。
 それとどこかで誰かが否定する可能性があるから、ディーン・スミスは擁護させていただきたい。出だしの音程がなんのその、声がオケに掻き消されようが奴は耐えた(笑)ハンセンのラリアットを受けても立ち上がる馬場の如し。しかも独り暗譜。   
 ヴェールゼ!!で全ての力を使い果たしたジークムントが懐かしいけれど、年齢を重ねてなお歌い続ける素晴らしさ。

 ただ音楽以外で気になる出来事に遭遇し暴れたくなったのは第1部の前半。
 休止符が訪れるたびに左側からの微かな機械的ノイズ。
 モスキート音のようなそうでないような、音の方角を確認したらテレビカメラが2台。あれかな?途中から音楽が肥大化していくので全く気にならなくなったが、とりあえず終演後事務局に伝えた。クレーマーな生き方はしていないけれど、「補聴器のノイズでは?」とか「他の人から言われていない」とか、挙句の果てには「カメラが原因だとしたら読売テレビの管轄なので」といい訳ばかりしてくるから、腹立たしく感じてきた。読売テレビ読売日本交響楽団と異なる企業だとしても、まず「謙虚に受け止め原因を追究し報告する。」が正しい解答と思う。連絡先は伝えたが、まだ何も言ってこない。
 それで昨日調べてみたら16000~17000Hz程度の揺らぎに似ている。普通は聞こえてこない年齢なのですが・・不安・・もしかしたら遂に頭が狂いだしたのかもしれない。元々音と言葉に神経質な自覚はあったけれど、演奏会鑑賞に堪えられない病的な原因だったとしたら、もう人生終わったようなもので「あなた方には感じられないのですか、溺れ、沈み、意識無き、至上の快楽よ」by.イゾルデ。
 
 それともサントリーホールの響きの影響かな?
 3部でワーグナーチューバが後ろから聞こえてきたような奇妙な反響。
 改装してから絶対に音が変化していると確信を持った。

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 マエストロへの喝采は感謝の証。
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 楽屋口でサインに応じるスミス。
 あなたは生まれた国を間違えた。
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 マエストロ・カンブルラン。
 震災後直ぐに日本に来てくれた。パンフのインタヴュー読みながらモルティエへの感謝を言葉にしていた。涙出そう。
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「MFさん、ゴールドのペン貸してください。」
 しかし急にインクが出なくなり慌てて鞄からボールペン出す私。
 「鳥の上に書いてください。」

 ※ハルコウさんを探すも発見できず。
 MFさん、また来週。火曜に紀尾井で。

ギーレンその2


 先日のブログコメントの中でブロ友にご教示いただいたギーレン発言は上記の参考によるものだそうです。英語ですが、ご興味のある方はお読みになるとベートーヴェン及び欧州音楽変遷について新たな考えをお持ちになるかもしれません。
 ちょっとしたタイミングでギーレンがBBC,sym&chorで演奏した記録を聴くチャンスがあり非常に興味深く思われた。普段第九なんて家で鳴らすことなど無いのですが、演奏会の前半はシェーンベルクワルシャワの生き残り」が取り上げられていて、日本年末の「友よ・・歓喜を」のような単純な構造ではなく<希望も絶望も人間の所業>である認識をまず聴衆に与え、おそらく休憩時間をはさんで第九での「友愛」を聴かされる。これは恐ろしい飛躍。「ワルシャワの生き残り」の元の形まで知識がないのですが、英語歌詞が正しいのだろうか。
 参考までにホルスト・シュタインのバンベルクsymでヘルマン・プライの動画。歌と言うより怒りに満ちた語り。
 先日NHKで戦争ドキュメンタリーとドナルド・キーンさんの追悼番組を観ていて(キーンさんは文学からの見識が中心だが)あれだけの被害を受けながら「戦争責任はない。原爆は正しい。」と豪語する米の人々。教育もまた矛盾に満ちたもの。正しいわけないと当たり前に思うが、ギーレンの言葉がここにも当てはまるなら「自由、平等、友愛」は<実現する望みのない純粋な理念>ということ。シラーもフリーメイソンに所属していたのでしょう。
 「所業」個人的に短絡的な思考しかできない僕は「猿蟹合戦」を思い出してしまった。おとぎ話は都合のよいように書き換えられ伝承されるが、芥川龍之介が「青空文庫」だったか?記憶が曖昧ですが、鋭い悪事として指摘していたと立ち読みで記憶している。時代に関係なく人間本来の姿は希望も絶望も無い無秩序で愚かな所業。
 参考にもならないでしょうが、以下はギーレンの正規盤第九の音源であります。
 ただ、稀有な音楽的解釈は気がつくと思う。その先は追及しなければ困難。
 基本アプローチは似たような構成なのですが、編集が施されたCDではよほど疑い深く神経の研ぎ澄まされた人じゃなければ感じ取ることは不可能に思われる。
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 MFさん曰く「ツィンマーマン晩年の作品《私は振り返り、日の元にすべての不正を見た》Ich wandte mich und sah an alles Unrecht, das geschah unter der Sonner  (Gerd Böckmann · Robert Hunger-Bühler · Heinz Holliger · WDR Sinfonieorchester Köln )のアフターに第九というケースもあったとか。冷静ではいられない。
 参考資料としてWDRでホリガー出演のものがあったので貼り付けました。
 テクストは旧約聖書カラマーゾフの兄弟の大審問官の場面・・ 
 旧約も新約も聖書はあるけれど現在精神的に読むのが困難なのですが、たしか「カラマーゾフの兄弟」大審問官のシーンでも「答えが出せない」いわゆるパラドックスという共通項がある。
 立ち読みした新しい亀山氏のそれでもヒントもなにもない。あれは嫌いな翻訳。
 その辺り詳しい友人がいるのですが(わざわざモスクワまで出掛けて「罪と罰」の原書を購入してくる謎のコピーライター。昔は玄関にレーニンワーグナーカメハメハ大王の像が並んで飾ってあった。)これまた精神的に電話で喋ることが困難な状況なので、昨夜家人に「彼とつき合っていいから調べておいてくれない?」と伝えたら「やだ!サロネンかカウフマンなら行くけれど。」とのこと。
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今夜カンブルランを聴いてきますが、数日間ギーレンばかり聴きまくり脳が些か狂いだしている。マーラーsymは3.4.6.7.8.9.10をブルックナーsymは1.2.3.4.5.6.をブラームスは3.4番をとりあえず鑑賞しました。これは自分にしては驚異的な出来事で、しかも2度が大半。ブルックナー6番は3回聴いてしまった。振り返れば嫌いな曲ばかり残しているがここまできたら挑戦してみましょう。
 
 頭を使ったぶん今夜の「グレの歌」に何かしらの効果が期待できるかもしれません。
 ※一部MFさんの文をそのままではありませんが引用しました。
 お許しください。

 

ミヒャエル・ギーレン死去

 今日の訃報。

 昨日3月8日、ミヒャエル・ギーレンが他界した。
 視覚の障害から5年前に引退。御年91。
 実演に接することができなかったことが残念でならない。
 ブログというのは有難いもので、コメントくださるM・Fが色々教えてくださり徐々に夢中になったことに始まりました。CDは購入したことありませんが、youtube等で少しずつ学習し、こりゃ凄い人だとなりました。
 実は数回舞台ご一緒したことがあるピアニストさん。(飲み会ばかりのブログ仲間の数名や舞台を聴きにきていただいた方はご存知でしょうが)BPのコンマスまで上り詰めた当時の若きDA○SINに「彼いい奴なの~」と譜めくりをさせていた彼女が1986年 - 1999年ギーレン・1999年 - 2011年カンブルラン時代(ほぼカンブルラン時代だろうけれど)フライブルクで活動していたと知りうらやましく思っていました。他にもフライブルク関係者は友達が数名いますが、どうも話を聞くと生きる事に必死であまり舞台鑑賞できない状況だったようです。
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 ギーレンの大きな功績はやっぱりこの2つ。
 ※ベルント・アロイス・ツィンマーマン作曲。
 歌劇『兵士たち』(Die Soldaten1960年に初稿、1964に改訂稿が完成。1965年2月15日にケルンでギーレンの指揮により初演。
 https://www.youtube.com/watch?v=WleBvPBuUiY ←参考資料として数年前のバイエルンオペラ。キリル・ペトレンコ指揮。主演はクレイジーなバーバラ・ハンニガン。

 ※同じくベルント・アロイス・ツィンマーマンの作品。
 『ある若き詩人のためのレクイエム』
 (何人もの詩人、哲学者、政治家、報道や著作からのテキスト、ソプラノとバリトンのソロ、三組の合唱、語り部、オーケストラ、ジャズバンド、エレクトロニクス、オルガンのための言語作品)(1967-1969)
 世界初演は完成した1969年にエッダ・モーザー(ソプラノ)ミヒャエル・ギーレン指揮、ケルン放送交響楽団、ケルン放送合唱団、マンフレッド・スクーフ・クインテット他。
 https://www.youtube.com/watch?v=5xDCUywg_0k ←参考資料としてギーレンの録音。何故か39分間しか聴けない。僕は大野和士氏の実演に接してから夢中になってしまい何度か紹介しているので、ご興味ある人は購入していただきたい。ベルティーニ盤もありますが、ギーレンを聴かなければ必ず後悔する。
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 作曲家は翌年1970年にピストル自殺。自分の音楽が理解されないと考えたようです。もう数年待てば世間の理解が追いついたように思うのですが、ここまで己を追い込んだ表現は資本主義的金儲けと重なるはずもなく死にたくなる気持ちを理解できなくもない。
 何故なら1970年の日本といえば「人類の未来と調和」とかダサいコピーの万国博覧会で浮かれていたはずで、世間の大半が間違った未来を夢見てしまった。

 近々東京五輪、そしてまた万博・・「本当にもう嫌だ!」僕はどこかに逃げ出すだろう。
 嫌といえば、ミヒャエル・ザンデルリンクドレスデンPと来日するので、ブルックナーだとしたら聴こうかなと調べてみたら嫌いな作品ばかりで、特にお得な金額の新宿文化センターのプログラムには吃驚した。なんと「未完成・運命・新世界」って、息苦しくなり気絶しそうになった。いまだに日本はこういう作品が具合がいいと思われているとしたら、人類の未来と調和どこの話ではなく土石流に巻き込まれた気分である。 
 
 実はブログではあまり書かないでいましたが、ギーレンのおかげで苦手だったマーラーをわりと普通に聴けるようになってきた。理由は自分でもはっきりしていないのですが、気どった雰囲気のない演奏から(時に冷酷?)マーラーの実像が見えてくる印象があって、以前ハンス・ロットから抜け出せないと記したけれど、そうだとしたら精神力の強い人間であったとしても悩み苦しんだはずであり、どこかのタイミングで亡き友に対して和解を求めたように感じられてきたのです。まず以下の演奏。アルマの主題。ギーレンはバトンテクニックが優秀だけではなく、人の心を読む力にたけていたように聴こえてくるのです。 

 死人に口なしではあるが、ロットが「これは君の音楽だ。自信を持ちたまえ。」と天上世界から語りかけ未来への導きすら感じられる。(あくまで個人の感想で論理的じゃない。)  https://www.youtube.com/watch?v=MpV5-FkLe-4&t=1988s  G.Mahler : Symphony No.6  SWR Symphony Orchestra Baden-Baden and Freiburg,
 Michael Gielen (conductor).
 Groβes Festspielhaus, Salzburg, 21.8.2013

 
 そしてもう一つ。
 Gustav Mahler
 Symphony No. 10 in F-sharp majorーAdagio
 SWF-Sinfonieorchester
 Michael Gielen, conductor
 10番のアダージョ楽章。ギーレンのアプローチは基本同じに思えるけれど、かつての天上世界からの投げかけに疑いをもったマーラーが7番~9番で苦しみぬき、ついにここで肉体を放棄し魂の飛翔に成功したのではないかな。この録音では15分27秒のffで2人は和解した。美しき主題は青空の中を浮遊しながら懐かしきウィーンの街並みを俯瞰しているよう。
 マーラーに関しては優秀な演奏が多いけれど、何故だいたいの巨匠はかっこつけたような世界に遊ぶのだろう?そんな気持ちになりました。
 ギーレン。こういう人が本当の指揮者だと思う。
 R・I・P


 ※来週は楽しみな、カンブルラン指揮の「グレの歌
 珍しく数名の指揮者による演奏で予習していました。クーべリック、エルダー、サロネン、メッツマッハー等。歌詞もだいたい読み込んでいます。
 もしかしたら泣くかもしれない(笑)