30年前

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 天安門事件から30年の今日、ふと思い出してスクラップブックを広げてみたら「文化人怒りの行動」というタイトルの記事が出てきました。
 当時僕は仕事しながら(まだナレーション・MCは始めていない時期)通信大学で勉強していて、どうにかやりくりしては演奏会や美術館に足を運んでいた。今思うと随分元気だったのだなと思い返す。
 ブログではあまり政治的な内容に触れたくないので事件についての感想は端折りますが、メニューヒンの「暴挙」発言やらヨーコ・オノさんのパフォーマンスから時代の流れを感じないではいられない。しかも朝日新聞が両氏を取り上げたのは「名の知れたわかりやすさ」が先に来ていて芸術至上論からは離れた立場。事実メニューヒンはこの時期には極端に技術が衰え、オノさんのパフォーマンスは一定のインパクトはあるものの、基本のできていない(美大でいうなら基礎課程をも修了できていない技量)僕の最も嫌いなアーティスト?に所属する。どうでもいいけれど割られた花瓶に責任は無い。景徳鎮の白磁の壷3000万円なら面白いが、まずどこにでもあるお土産でしょう。朝日もその程度だったと感じられてくるのは、もっと書かなければならないものがあるように思われたから。

 
 
 ところでarte.tvで配信されているウィーンのガラコンサートが面白いです。
 表現の豊かさ。芸術は確実に進化していると感じられる。
 

The鍵Key 作曲・演出:フランチェスカ・レロイ 原作:谷崎

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 <The鍵Key> 作曲・演出:フランチェスカ・レロイ 原作:谷崎潤一郎
 鶯谷から徒歩数分。会場は旧平櫛田中邸。普段入れない場所ですから貴重な経験だったかもしれません。観客は満席30数名。

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 開演15分前に到着。スタッフが「今日はお暑いですからよろしければご使用ください。」と団扇を配ってくださった。小生金魚の団扇を選びました。イメージ 3
 夫、妻、娘、娘の婚約者木村が各々4つの部屋で歌い語り演じる。
 観客は自由に回遊し観賞する形式。右上の妻の部屋だけが2階。イメージ 4
 長年の連れ添った夫婦の満たされない性生活。娘の婚約者に対して気にかける仕草をする妻に夫は嫉妬。その嫉妬心に性的興奮を覚え心は満たされていく。その思いを日記にしたため、妻にそれを読むように画策する。妻も読まれることを前提に同じ行動をとる。娘と木村も両親の意図を知り協力する。・・その個々の思いがそれぞれの部屋で表現され、我々は夫の部屋から「次は妻を見よう」とか「娘の部屋を覗こう」とかバラバラに動き始めるという展開。音楽は武満氏のような雰囲気でストーリーを邪魔せず好ましい。若干の違和感を覚えたのは「言葉=歌」なのですが、日本語のあとに英語でリフレインされるところ。分かりやすい英語だったので、翻訳的繰り返しが鬱陶しく思われた。日本語か英語のどちらかでいいと。でもやはり日本語でと感じたのは、「いとなみ」が「セックスライフ」になってしまうストレス。これでは谷崎ではない。キャストの動きはクロード・レジ演出のスローモーションのよう。木村の踊り?だけ時々寺山修二氏の影響かと勝手に想像した。(ちと古い)
 しかし、今回出かけたのは妻役が知人だったからが大きな理由なのですが、彼女は足袋を脱ぎ素足を見せながら横になり「うふん」とか言うから、見てはいけないドメスティックな部分に入り込んだようで、どうにもこうにも具合が悪かった。というのも舞台ではなく6畳程度の同じ部屋での目の前の演技なので、興奮はしないけれど、現実問題どのような生活をしているのか(例えば昨夜は焼魚定食で「あなたご飯おかわりは大丈夫」とか)全部見えてくる幻覚に魘された印象。終演後「あらHさん、毎回髪型が違うからわからなかった。」そこでようやく舞台の緊張感が切れたように思えたけれど、気がつかれなかったということは、僕は「覗き」していたのだなと奇妙な気分になった。
 アフタートークで発言「聴衆側の親密性。狭い通路を徘徊する連帯感。面白かった。」と伝えた。
 作曲・演出:フランチェスカ・レロイさん。魅力的な女性に思えた。日本的なのです。
 暑い五月の湿度を含んだちょっとした恋心だったかもしれない。
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ジョルジュ・リゲティ作曲 歌劇「ル・グラン・マカーブル」

 一昨日なにげなくyoutubeを聴いていたら、ジョルジュ・リゲティ作曲 歌劇「ル・グラン・マカーブル」1998年にサロネンが指揮をしている音源に遭遇した。
 主役?酔っ払いのピート役がグラハム・クラークだったこともあり、そのまま全曲鑑賞してしまいました。僕には初めての作品で、ベルギーのミシェル・ド・ゲルデロードの戯曲をテーマにリゲティが作曲した程度の知識しかなかった。とにかく衝撃的な音楽。
 オペラの筋書きは上記で確認することができます。
 自分でストーリーを説明するのはわりと得意なのですが、些か疲労状態にあるのでお許しください。
 その昔作曲家来日で公演が行われた記憶がありますが、当時は仕事モードバリバリ時代だったことからチケット購入の隙間も無かったと思い出す。
 気狂いじみた内容ですが、美しい作品でアルバン・ベルクのオペラから感じるような等身大の登場人物が聴き手と同じ目線で描かれていて、まるで自分が作品の一部になったような気持ちにさせてくれる。
 youtubeに色々な音源があることから、例えばバイロイトワーグナー等はここ50年程度の録音をあらかた聴くことができましたが、率直な印象として音楽的に進化しているのかなんだか理解できないでいる。個人的には生きている人の上演が優先されるのは身近な存在であることと時代背景からくる音楽性のセンスと思う。(クナッパーツブッシュでヴィントガッセンが素晴らしくとも、見たこともないからね。)
 そして神話的な背景からの音楽がどうやら上から目線に感じられてきて、自らの想像力の欠落かもしれないけれど、最近はワーグナーがしんどい。
 グラハム・クラークがミーメを歌っていた時期、そのお仕舞いの頃なのですが、語尾に喉声の乱れが見え隠れしはじめ(実演で聴いたときもそうだった。)求めに応じる性格が歌手人生を没落させたとまでは考えたくないけれど、バレンボイムあたりに酷使されたのではと疑いたくなる。小澤塾にも来ていたっけ。
 ル・グラン・マカーブルにもその傾向はあるが、気にならずに表現できているのは、もしかしたらサロネンだからではないかな?と感じられてきた。
 この翌日サロネン&フィルハーモニア発売でしたが、来日公演は毎回似たような作品ばかりでうんざりしている。最初から売れないリゲティなんか期待していないけれど。それで少し考えて1月28日の「シベリウス序曲、ショスタコーヴィッチのバイオリン協奏曲、火の鳥」を予約してみました。理由はショスタコーヴィッチにあってあまり聴くチャンスが無いように感じられたから。しかし何の苦労も無しに最安席が買えた。(不思議!)もしかしたらガラガラだったりして。

 ついでにサロネンリゲティをもう一つ。「レクイエム」
 Performed by Barbara Hannigan (soprano), Virpi Räisänen-Midth (mezzo-soprano), Philharmonique de Radio France, Choeur de Radio France, conducted by Esa-Pekka Salonen. なかなか凄いキャスト。
 7月にリゲティ「レクイエム」が東京で上演されるとMFさん情報。指揮はノット。
 たぶん買うような気分でございます。
 
 

チケットを購入

 以前から腰痛が気になっていましたが、その関係なのか左手が一日中痛くなり、しかも指先が痺れる状況。さすがにまずいと思い総合病院の整形外科を訪問。数枚のレントゲンを撮ると首の神経が部分的におかしいとのこと。来週月曜日にMRIの予約をした。(今年2度目のMRI)病院で処方される薬は効くもんでかなり痛みは軽減されました。だけれど眠気をもよおすから昼夜が滅茶苦茶。
 アレルギーの皮膚科、精神科、整形外科・・もしかしたらこれに内科が加わる可能性もある現状に嫌気がさしてきた。人生=病院である。
 
 ここのところ出費が多く、どうにかしなくてはと本を売り、オーディオ関係の使用しない機械をオークションに出品したりし(オーディオは何故か簡単に売れる。)駄目なりに生活が安定してくると舞台のチケットを購入したくなってくる。
 ウィーンフィルブロンフマンラフマニノフ3番の協奏曲を演奏する。(ちょっと聴いてみたいのはティーレマンじゃないから。)しかしながら高額。またサロネンフィルハーモニア管弦楽団も発売。日曜日が先行発売だったけれど、25日の土曜日がウィーンフィルサロネンが一般同時発売ということで「おそらく一般人はウィーンにアクセスするだろうな?」と社会の動向を想像し、サロネンに集中する土曜午前10時になりそうな予感。しかしサロネンに関してはどの日時を購入したら良いのやらいまだに決まっていない。自身に問いかける「お前は何が聴きたい?」たぶんマーラー9番が最も感動するような気がするのですが、興味があるのはショスタコーヴィッチのバイオリン協奏曲かもしれないと悩んでいる今日この頃。
 シンプルになったオーディオ。レコードプレイヤーが壊れてしまったみたい。誰かください。
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 上記とは趣が異なりますが、以下のチケットを予約しました。10月2日オペラシティ。別に舞台が見えなくてもいい(音が聴ければ満足)の観点から4,000円のB席。やたら安く感じる。ホリガーも80歳ということで、稀有な名人の世界に浸ってみようではないか。
 
 指揮&オーボエハインツ・ホリガー
 ヴァイオリン/郷古廉
 イングリッシュ・ホルン/マリー=リーゼ・シュプバッハ
 管弦楽東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団

 ■予定曲目
 ヴェレシュ:トレノス
 ホリガー:2つのリスト作品のトランスクリプション
 バルトーク:ヴァイオリン協奏曲 第1番 (ヴァイオリン/郷古廉)
 細川俊夫:《結び-ハインツ・ホリガーの80歳の誕生日を祝して-》(2019) オー ボエとイングリッシュ・ホルンのための 【世界初演
 マルティヌーオーボエ協奏曲 (オーボエ&指揮/ハインツ・ホリガー
 ラヴェル:スペイン狂詩曲
 ※曲順未定

 

本の処分

 本を読むことが苦手になってから数年経過。
 頁を捲ると象形文字のように感じられることがある。
 ブロ友との飲み会でCDを配り続け(たぶん計数百枚)今考えればDユニオンに売りにいったらそこそこの金額になったように思うけれど、貧困ながらせこい生き方はしていないから今後も似たような行動を続けるだろう。(しかしながら必要の無いCDもついに減りつつある。)
 でも一度聴いた録音は誰かの手にわたっても記憶しているもんで「返してほしい。」という感覚にはならない。それが本でも同じなのだと今日学んだ。
 基本的に人生のテーマは<断捨離>
 物が減れば精神の調和に繋がる。或いはラディゲじゃないけれど死ぬ準備。ラディゲに関してはコクトーや三島さんが都合の良いような美文を残しているけれど、日本でいう高校時代に「肉体の悪魔」を書いた早熟でひ弱な男が物を片付けたのは「他人に見られたくない変なものを所有していた。その後たまたま死んだ。」ではないかと勝手に思っている。
 鯨は墓場にむかい、猫は姿を消し、関係ないが駱駝の目は悲しい。

 とにかく本を整理したいと考えて、昔から馴染みの古書店主に来ていただき処分した。最初は全てを持っていってもらうつもりでしたが、僕はもう暫く生きるのか?残しておきたい書物がわりとあって、完全に部屋が片付いたわけではない。
 それでも600~700冊分部屋が軽くなったのだから気分が良い。つまり<断捨離>とは趣が異なりCD同様に読んだものは記憶しているわけで、当たり前だけれど、脳はそのままで、部屋を他人に片付けてもらい、お金をもらう・・メリットしかないと思えた。
 ということで「さようなら。本好きの人に購入していただきますように。」
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フェルメールの天使

 昨日NHKニュースでフェルメールの絵画を(完成作品に後に誰かが塗りつぶしたらしい)修復していることを特集していた。そこでスマホでテレビを撮影したのですが、素直に「やっぱりそうだったか。」と思ったのです。
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 上の写真は修復前のもの。僕はこの作品を2度鑑賞したことがあって、最初はかつて真冬のドレスデンで誰もいない美術館の中で20分~30分じっと眺めていた。次は10年程前?上野の西洋美術館に来たときだけれど、絵画前の混雑は竹下通り状態でまともに見ていない。仕方がなく何故か空いているフリードリッヒを好きなだけ見つめていた。
 これはフェルメールにしては大きな作品で、そのせいか粗が見え隠れするとドレスデンの時に感じていて、暫くすると手紙を読む女性の後方壁があまりにのっぺりした塗りかただと気がついたのでした。(この壁はどう考えても繊細なフェルメールじゃない。)似たような体験は何度もあってイタリーのルネサンス期の作品に多く、例えばラファエロなんか大半を疑いの眼差しで凝視してきた。誰かが言うには<尊敬の念から上塗りする>・・僕には意味がわからない。
 
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 修復家の地道な作業で細かく上塗りされた絵具を削りとると天使の姿があらわれだしたということ。歴史的な理屈まで知識がありませんが、天使が描かれている=女性が手にしている手紙は「恋文」という証明になるそうです。
 ただ以前から描かれているガラス窓にうつる顔の表情が「困惑」というかときめき以前の少女の表情を的確に捉えていることから、恋文なのだろうな?とは感じていた。
 修復まではまだ何年も必要らしいけれど、全て削りだした時にどのような構成を取り戻すのか興味はつきない。
 ただ、現状(半分修復?)から感じられる印象は、ちょっと絵具が煩い気がしてならない。
 名作に違いないけれど、巨匠といえども全てが完璧な仕事とは思えないのは(居酒屋便所の日捲りカレンダーの何も考えていない詩人「人間だもの」じゃない。)多くの習作がなければあそこまでの技術は獲得できないわけで、フェルメールは数少ない作品しか発表しなかったのではなく「痕跡を消す」作業に人生を費やしたからと感じられて仕方がない。
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 画家にとって天使の存在が己の心を見透かされるような邪悪な存在は言いすぎかもしれないけれど、視線は画家と鑑賞者に向けられている現実は、恋文を認めたのはフェルメールに他ならず、少女の不安げな表情は画家の心を映し出した鏡なのかもしれない。
 恋は盲目。成就しなければ絵画への思いはどうなるか?「痕跡を消せ。」
 ところが、思いとは真逆に完成度が高ければ焼却する作業に努力が必要。
 つまり「捨てたくない。」
 そんなことを思うと、後に天使を消したのはフェルメール自身だったのではないかしらん等と余計な思考が働く。
 「詮索されたくない。」が画家の思いかもしれない。

ニュースを読むとフェルメールの死後に何者かが上塗りしたとあります。
原料などから時代が証明しているなら僕の考えは間違いですが、何故天使だけを消したのか不可解に思う。
別のドラマでも考えようかな。

寺山修二氏三十七回忌法要

 本日12時予約していたアレルギーの病院は鎌倉駅から徒歩1分。
 GWに入ってから観光客の多さを恐れて駅には近づかないようにしていましたが、薬が切れてはどうにもならない。それに4月半ばから痒みが悪化。薬が増えた。
 帰りのバスの混雑が凄くおまけに渋滞。普段は駅から自宅まで20分もあれば帰れるのに、60分も掛かってしまった。
 自宅は観光地の少し先にあるので、乗客の大半は長谷観音か大仏前で下車しバス内はガラガラになるも途中で息苦しくなってしまい「困ったな」それでもどうにか我慢しながら自宅に辿り着いた。
 もう一つの病院の薬は減らす作業を試みていますが、どうやらアレルギー薬との相性が悪く、昼だか夜だかわからなくなり、日中は5~6回意識が混濁する。寝ているのか起きているのか曖昧だけれど睡眠の部類に所属するのか、深夜睡眠導入剤を飲んでも夜明け前に覚醒。仕方がないから、顔を洗い歯を磨き珈琲を煎れ、いわゆる朝の作業を始める毎日。そんなことから日テレ「皇室日記」が日曜日の定番になっている。
 やたら丁寧にMCを務める有名女性アナの喋り方に奇妙な抑揚があってどうにもこうにも具合が悪いが、恐らくご本人の中に最も優れたナレーションを獲得している過信があって、周囲の誰も指摘できない環境も想像できるが、世間が気にならないまま納得しているならどうでもいいことかもしれない。美しい喋り方は美しい絵画に似ていて、例えば印象派の誰かが素晴らしくてもグッズとして販売されているネクタイやマグカップの耐えられない俗っぽさ。5,000円くらいする。誰が買うのやら。
 しかしながら「皇室日記」は面白い。
 今回のテーマは前天皇最後のご公務。平成から令和への変化が主題でしたが、後日ニュースで見た4月30日~5月1日の渋谷交差点で騒ぎまくる「なんと平和な氾濫」なこと。メーデーのベネゼエラの悲劇。人々よ世界に目を向けよ。
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4月30日。平成最後の日、寺山修二氏の三十七回忌法要に招待いただきました。
 つい先週のこと個人的に寺山修二記念館に問い合わせをしたいことがあり(内容は恥ずかしいので端折ります。)記念館の代表であり副館長の笹目さんと電話でお話ができ、その後のメールで「法要にお越しください。」となった。
 今回は招待状を多方面に送付している訳ではなく、「寺山さん義弟の寺山偏陸(ヘンリック)さんと2人だけかもしれない。」とのご連絡いただいた。それでも部外者の僕が訪問していいのだろうか?と若干の不安を抱きつつ高尾霊園高乗寺に向かいました。大きな霊園で場所探しに少し躊躇するも数名の人影を確認。あそこだな。八重桜が散り桃色の絨毯のような小道の先にお墓があった。計10名の参列。
 笹目さんと偏陸さんにご挨拶。蘭妖子さんもいらっしゃった。
 山の緑が濃く、小雨が心地良く、お経はこだまのように心に響き、肉体の無駄な成分が洗い流されていくように思われた。

 この日は九條今日子さんの命日だそうで、すぐ近くにある墓碑にも手を合わせた。
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 その後、お寺の入口近くの食堂でおでんとお蕎麦をご馳走になりました。天井桟敷の人々。

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 笹目代表から貴重なお話を聞けて嬉しかった。お気を使いいただきありがとうございました。今後もご教示いただけたら幸甚です。

 蘭さんは優しいお人柄。僕が来た経緯を説明すれば「出会いなんてこんなものよ。」と笑顔で答えてくださった。「あなたの名刺見たことあるわ!」あるはずはない初対面である。
 蘭妖子さんの歌を参考までに。

 偏陸さんは翌日FBで繋がってくださり、5月3日~4日青森三沢でのイベントにお誘いいただくも、金銭的理由と体調にも自信が無く残念ながらお断りするしかなかった。演出担当される三上博史さんのライブがあるとのこと。何か次回チャンスがあれば必ず訪問できる準備を心がけます。

 また青森からおこしの寺山研究家のご婦人ともお話しする時間が今後あれば嬉しいです。
 
 まさか天井桟敷の人々との交流が生まれるとは思わなかった。縁の不可思議。
 もう少し自分が高齢であれば舞台をリアルタイムで鑑賞できたはず。こればかりは仕方がないけれど悔しい。ビデオではどうにもこうにも生々しさが感じられない。
 映画と本を見直してみたいと思い。その日のうちに映画「初恋地獄篇」を繰り返し鑑賞。その後疲労を感じ、いつもの自分に戻ってしまったよう。しかし、平成の終わりの貴重な体験はこれからの変化につながる確信に似た手ごたえを感じられた。
 身体を治さなければ。
 
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 今後の予定
 ※5月26日 音楽ドラマ「THE鍵KEY」谷崎潤一郎×フランチェスカ・レロイ(旧平櫛田中邸アトリエ 東京都台東区上野)
 ※9月23日 ブッフビンダーのリサイタル (初台オペラシティ)
 ※未定ですが、自分の朗読舞台を検討中